そういうボクが東海林さだおさんを、グーッと近くに感じ、巨大な存在に思えてきたのは、ボクの先生である赤瀬川原平さんと、東海林さんが接近してからだ。いつ頃だろう。
赤瀬川さんはボクの先生なので、先生の作品はなんであろうと無防備に読んで笑って感心して感動していたので、東海林さんとの対談も「へぇー」と思いながら読んで、もうビックリしたわけです。その対談が面白くて。面白くて面白くて。
その場にいないのに、対談を読んでいて、二人の話の切り返し切り返しが、格闘技の名手同士の技の掛け合いとかわし合いを見ているように、ライヴなリズム感があって、読んでいて何度も何度も声を出して笑ってしまった。
あれは何の本だったろう。まだ東海林さんと赤瀬川さんが会って、間もない頃だったと思う。
それから、ボクの中の東海林さだおさんの窓が開かれてしまった。
だけど、その頃は、ボクももうマンガを描いていて、文章もちょこちょこ書いていた。
だから東海林さんの本を買って読み始めてから少しして、
「こりゃ、あんまり読むとマズイな」
と思った。
東海林さんのエッセイは、とくに食べ物に関してのエッセイは「たしかにたしかに」という面白さがちりばめられている。というか、全部が「たしかにたしかに」なんで、たくさん読んでいると、なんだか自分の頭の中身の隅々までかき出されたようで、その食べモノに関して、書くことが無くなっちゃうような気がしてくる。というか、古今東西の食べ物に関する面白いことは、もう全部東海林さんが書き尽くしているんではないか、という気がしてくる。さらには、東海林さんの影響を受けてしまうんではないか、という不安も沸き起こるわけです。同じ文章を書いていて、
「影響を受けてる」
というのは、読者からすると、
「真似している」
に、なったりするわけで、これはもう恐怖だ。
実際、数年前、ボクの切り絵の展覧会の会場で、年配の来廊者にボクのエッセイにサインを求められ、書いていると、
「東海林さだおさんなんかを、相当読んでこられたでしょう」
と言われて、エー、やっぱりそうか、とガックリきた。
そんなに「相当」は読んでいなかったけど、相当に面白いとは思っています。とも、言えなかった。なんとなく「そうですか」とか笑ってごまかした。
今思えばそれ以来、丸かじりシリーズに近づかないようにしていた。ような気がする。
でも時々、地方に旅行に行く時電車の中で読む本を忘れたりすると、キオスクでうっかり買ったりする。それで、案の定、面白くて後悔する。あー、これのこともこんなに面白く書いている。もうボクはこれについて書けない。と、パタンと文庫本を閉じたことが何度もある。
正直に書いているなぁ、オレ。
こんなこと書き連ねてしまって、もう東海林さんに会わせる顔がない。
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