さて、カントは五十七歳のとき『純粋理性批判』を出版してヨーロッパの哲学界の注目を集めたが、土屋さんも五十歳のときに『われ笑う、ゆえにわれあり』を出版して、東上線沿線の哲学界の注目を集め、それがきっかけとなって『週刊文春』にエッセイを連載することになった。以前から我々を感心させていた土屋さんの卓抜なユーモアのセンスが世に知られるのは、少々遅すぎたとはいえまことに喜ばしいことだった。
ただ、あの繊細で体調を崩しやすい土屋さんが、授業や研究のかたわら週刊誌の連載を受け持つなどという離れ業ができるのだろうか、その点は少々心配だった。毎週一回人を笑わせるような文章を書くのはなまやさしいことではない。私などは、毎年一回ほど土屋さんの書いた本を献呈されるたびに、感想として何か気の利いたジョークを書こうと四苦八苦した末、いつもお礼の返事を書くのをあきらめるほどなのだ。たとえ世間の評判になっても、毎週毎週原稿の締切りに責め立てられるのは悪夢以外の何物でもない。
このように自分の場合と引き比べて、いずれ土屋さんは過労で倒れるか、締切りの重圧に耐えかねて休載するのではないかと私は懸念していた。
ところが実際に起こったのは、私の想像を絶することだった。土屋さんは、『週刊文春』の連載を続けただけでなく、『通販生活』『文藝春秋』など、他のさまざまな雑誌にも注文に応じて次々にエッセイを寄稿した。その上、対談や人生相談にも手を広げ、哲学の本まで書いてしまった。趣味の領域では、ジャズピアノの腕にますます磨きをかけて、毎週ライブに出演し、ついにはプロのミュージシャンと共演するまでになった。教授会や各種委員会でも、どもりながら敢然と意見を述べ、ついには学部長に選出されてしまった。一方では、我々のような友人はもちろん、頭痛、腹痛、歯痛、めまい、風邪などとの付き合いも欠かさずに続けているのである。一体あの弱弱しい土屋さんのどこにそのようなエネルギーが潜(ひそ)んでいるのだろうか。
あまりにも予想外の事態に驚いて、私は一時、藤子不二雄やエラリー・クインのように、土屋さんは実は二人の人物ではないかと疑ったほどである。つまり、私の知っている「土屋賢・二」のほかに「土屋賢・一」という人物がいて、賢・二が学生を相手に駄洒落をとばしたり風邪で寝込んだりしている間も、賢・一は自習室で原稿を書いているのではないかということだ。
しかしそれはどうやら私の思い過ごしだったようだ。何かに魅せられ、虜になったときの土屋さんの情熱のすごさを私は過小評価していたのである。
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