しかしそれでは、我々が毎年続けていた果てしない議論はどうか。あれは何かの役に立ったのだろうか。私としては、ソクラテスの行った対話のように、真理を探求し、土屋さんの誤りを矯正(きょうせい)するのに役立ったと言いたいところだが、その見解には土屋さんは同意しそうもない。もしかすると土屋さんは、セールスマンの研修のように、説得しにくい客、つまり我々を相手にして説得の技術を磨いていただけかもしれない。それにしては土屋さんの議論の説得力には少しも向上のきざしがないが……。
それでも最低限自信をもって言えることがある。我々の議論は、説得力を磨くのには役立たなかったかもしれないが、少なくとも土屋さんの忍耐力を養うのにはいくらか役立ったはずである。そして、土屋さんが哲学の議論に疲れ果てて、息抜きのためにユーモアエッセイに逃避したのだとすれば、我々は土屋さんの隠れた才能を開花させるために、また土屋さんのエッセイのファンを楽しませるために、少なからぬ貢献をしたことになる。
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