「少年と少女の密室」の舞台は一九五三年、東京。闇煙草の取引が行われているため警察に監視されていた家の隣家で、高校生の男女の刺殺死体が発見される。厳重な監視下で、犯人が現場に出入り可能だった筈はないのだが……。
本作ではサプライズが二段階に分けて襲ってくる。まず、登場するや否や密室蒐集家が暴いた真犯人。論証を後回しにしていきなり真犯人を指摘する演出が効果的で、衝撃度たるや尋常ではない。そしてその後、もうひとつのサプライズが不可能状況を一変させる。実はミステリではありがちな仕掛けではあるものの、ミスリードが巧妙なので見破るのは困難だ。技巧の限りを尽くしたアクロバティックな傑作と言える。
本作の美点はもうひとつある。本書は(というか、著者の小説全般に言えることだが)本格ミステリとしての純度の高さを最優先しており、それ以外の無駄な要素は極力削ぎ落とされている。ということは、小説的な豊かさを重視する読者にとっては物足りなく感じられる可能性も否めないということでもある。しかし本作では、殺害された少年少女をめぐる哀話の余韻が作品の完成度を高めている点が見逃せない。
「死者はなぜ落ちる」の舞台は一九六五年、大阪。別れ話をしていた男女が、窓の外を墜落してゆく女性を目撃する。女性の遺体を警察が調べたところ、背中に刺し傷があって明らかに他殺なのだが、被害者の部屋は内側から施錠されていた。
意外性を成立させるために、かなり危うい綱渡り的な状況を連鎖させた作品である。ただしそれは本作の弱点ではなく、異様そのものの事件の全容を印象づける効果を上げている。その意味で著者らしさが強烈に前面に出ている作品と言える。
本書で一番の異色作「理由(わけ)ありの密室」の舞台は一九八五年、東京。他の作品は密室をどうやって作ったかというハウダニットと、真犯人の意外性を重視しているのに対し、本作は密室トリック自体は初歩的なものである上に犯人候補も三人に絞られており、その中の誰が犯人でも意外ではない。では読みどころはというと、何故密室を作ったかというホワイダニットの要素であり、そのひねった発想には唸らされる。カーター・ディクスンの『孔雀の羽根』(一九三七年)では名探偵のサー・ヘンリー・メリヴェールが、殺人者が密室を作る三つ(あとで追加されるので最終的には四つ)の理由を挙げているけれども、それに対し本作では密室蒐集家が八つの理由を挙げており、著者のミステリ作家としての意地が感じられる。
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