- 2015.04.21
- 書評
世界にはまだまだ凄いミステリ作家がいる
文:千街 晶之 (ミステリ評論家)
『死のドレスを花婿に』 (ピエール・ルメートル 著/吉田恒雄 訳)
出典 : #文春文庫
ジャンル :
#エンタメ・ミステリ
近年、日本に紹介された海外ミステリ小説で、フランスの作家ピエール・ルメートルの『その女アレックス』ほど広く読まれ、話題を集めたものは他にない。文春文庫から二○一四年九月に発売後、二週間足らずで版を重ね、「週刊文春ミステリー・ベスト10」など四つの年間ランキングで一位に選ばれたことは記憶に新しい。二○一五年二月現在、なんと四十三万部という驚異の部数に達している。
ひとりの女性がある男に拉致されるのがこの作品の発端である。檻の中に監禁された彼女は、どうやら自分を拉致したのが何者で、その動機が何なのか知っているらしい。このままでは殺されてしまう……彼女は必死になって脱出を図る。しかし、彼女には頼るべき人間は誰もいなかったのだ。
一方、女性が拉致されるのを目撃したという通報を受けたパリ警視庁の警察官たちは、その行方を探し、救出しようとする。だが、そもそも拉致されたのが誰なのか、情報が全くないため捜査は難航する。
以降、二つのパートがカットバックで進行する構成なのだが、紹介して差し支えないのはここまでだ。この後には、すれっからしのミステリマニアをも翻弄する意外な展開が待ち受けているのだから。「あなたの予想はすべて裏切られる!」という帯の惹句(じゃっく)は決して誇大広告ではないのだ。
それにしても、日本ではほぼ無名の作家、しかも最近の翻訳ミステリ界ではやや旗色が悪かったフランス・ミステリ――という条件下で、この作品が大ヒットしたことにも驚かされる。とはいえ、もともと英語圏以外で最も多く日本に紹介されていた海外ミステリはフランス産だった。古くは怪盗アルセーヌ・ルパンの生みの親であるモーリス・ルブランや、密室ミステリの古典『黄色い部屋の秘密』の作者ガストン・ルルーらが有名だし、ベルギー出身だがジョルジュ・シムノンもメグレ警視シリーズで知名度が高い。第二次世界大戦後には、『シンデレラの罠』のセバスチアン・ジャプリゾ、『死者の中から』のボアロー&ナルスジャック、『わらの女』のカトリーヌ・アルレー、『殺人交叉点』のフレッド・カサックといった、華麗でトリッキーな技巧を誇るサスペンス作家たちが次々と登場したし(連城三紀彦や小池真理子ら、多くの日本作家が彼らから影響を受けている)、彼らより下の世代の作家では、ジャン=パトリック・マンシェットやジャン・ヴォートランらの犯罪小説や、日本の「新本格」にも通底するポール・アルテやジャン=クリストフ・グランジェらの謎解き重視の小説が注目を集めたりもした。
しかし最近、翻訳ミステリ界にブームを巻き起こしていたのは北欧やドイツ語圏の作品群である。フランス・ミステリはというと、ここ数年はフレッド・ヴァルガスやフランク・ティリエの作品が邦訳されていたくらいで、めっきり影が薄い存在と化していた感は否めない。そんな状況下、フランス・ミステリ復権の狼煙(のろし)を上げたのが『その女アレックス』だったわけである(同じく二○一四年に邦訳されたジョエル・ディケールの話題作『ハリー・クバート事件』も、フランスで刊行されたという点で仲間に入れていいだろうが、スイス人作家がアメリカを舞台とした小説ということもあってフランス・ミステリらしさは些(いささ)か乏しい)。良い作品は生み出された国がどこかなど関係なく高く評価される――それが当たり前のようでいて実際にはなかなかそうはならない場合も多いことを思えば、『その女アレックス』の大ヒットは稀有な現象と言っていいだろう。
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