本書は「特攻の生みの親」と言われた海軍中将大西瀧治郎が、いかなる真意のもとに特攻作戦を指導し、死に至るまで徹底抗戦を呼号したか、その解明を試みたものである。
著者神立尚紀は、太平洋戦争について海軍航空隊の戦いを中心にして、高い記録性を持つ数々の優れたノンフィクションを世に送ってきたが、これまで特攻作戦を書くのは「意識して」避けてきたと言う。その神立があえて今回特攻を題材に選んだ理由は、自身があとがきで詳しく述べている。神立の腕をもってさえ、特別攻撃隊は重いテーマだったのである。
神立は、当時の戦闘記録、当事者の証言、写真解析、その他の膨大な資料を駆使して物語を進め、その筆致は従来に増して抑制され着実である。本書が導き出した「特攻の真意」は、ネタバレになるのでここで殊更繰り返さない。しかし本書が、今後日本人が特攻について、いや太平洋戦争全体について考え、論じ、あるいは創作を試みる時、絶対に無視できない存在となることは疑いない。
この書物の魅力は、まずその巧みな構成にある。第一章から七章は、戦局の推移に現代の回想を交えつつほぼ時系列に沿って進み、ここで読者には、結論に至る手がかりとして様々な情報が提示される。八章と九章でついに大西をめぐる謎が解き明かされるが、そのプロセスにはあたかも上質の推理小説を読むかのような知的興奮を覚えるだろう。エピローグでは、登場人物すべてのその後が淡々と描かれる。そして大西の副官門司親徳が、大西と同じ「二十年八月十六日」に世を去る終幕には、単なる偶然の一致では割り切れない、人の世の不思議さを感じさせる。神立の言う「ものごとにはいくつもの筋があり、それが近づいたり遠ざかったり、複雑に絡み合ったりして、ひとつのできごとは起こる」、まさにその象徴であろう。
第二の魅力は、その平明達意の文章で、凡百の戦争小説をはるかに上回る。第五章、関大尉(だいい)率いる敷島隊が、敵護衛空母群「タフィ・3」に攻撃をかける描写に注目して欲しい。ここでは安手の擬音・擬態語はおろか、形容詞さえほとんど使われていない。ただ「飛行機が、船に、突っ込んだ」様子を簡潔に描いているだけなのだが、読者はそれをまるで、ごく近距離の鮮烈なカラー映像で観戦しているような錯覚に陥る。これは報道カメラマンとして出発した神立の資質によるもので、第九章、いよいよ謎が符合する大詰めの「あたかもカメラのピントが合うかのように」という言葉遣いにも、おそらく本人無意識のうちに現れている。神立は報道写真と同じく、文章においても常に構図を重んじ、「どうすれば読者に一発で理解してもらえるか」で勝負する。よって例えば文中に、テーマ上色々難解な軍事用語が出てきても、読者は文章のリズムに乗って「何となく」その意味がつかめてしまう。あとは筆の流れに身を任せて読み進めれば良いだけである。
第三の魅力は、二人の証言者、角田和男と門司親徳の存在である。角田は予科練から叩き上げの特務士官、門司は東京帝大卒で短期現役の主計士官。どちらも海軍兵学校出身のいわゆる「本職」ではない。しかし海軍内ではアウトサイダー的なこの二人が大西の身近にいたことは、ある意味幸いだった。角田は熟練の戦闘機搭乗員としての観察眼と直感から、門司は兵学校教育とは異質の知識・教養を身につけた青年の視点から、大西の外見に隠された「何か」に気づく。その疑問を胸に抱いた二人が、戦後再会し、やがて本書の誕生につながっていく。もし二人がガチガチの正規将校だったなら「何か」に気づくことも、それを疑問と認識することもなく、結果、特攻についての歴史的考察は従来以上に深まることもなかったろう。
朴訥誠実な角田もさることながら、古今亭志ん生の落語を愛する門司のキャラクターは深い印象を残す。門司は持ち前のユーモアのセンスで、草の上をゴロゴロ転がる大西長官の意外な一面を悟る。ユーモアは人生の様々な負の要素を転換させ、逆境に立ち向かう勇気を与えてくれるものという。戦場という人間社会の最も苛烈な現場から、門司が己を保って生還し、戦後は社会人として成功、戦友の慰霊をめぐっても最後まで毅然とした姿勢を貫き得たのはまさしくユーモアのおかげだろう。靖国神社で倒れた後「あそこで死ねばドラマとしたら完璧だったんだが、どうやら助かっちゃったようだね」と本人がしみじみ語る志ん生落語のオチみたいな場面では、不謹慎ながら誰もが吹き出さずにはいられない。
こういう何気ない達人、真の紳士こそ、日本の各地になおさりげなく生きていてもらいたい。とかく戦後世代は、軍人と言えば一律に「軍国の走狗、訓練によりロボット化した暴力主義者」とレッテルを貼りがちだが、現実はそう単純ではない。実際の戦場には門司や角田のような人々が、好むと好まざるとにかかわらず、黙々と本分を尽くしていたことにも、読者は注目して欲しい。
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