書評

『特攻の真意』解説

文: 大森 洋平 (NHKドラマ番組部 シニア・ディレクター(考証担当))

『特攻の真意』 (神立尚紀 著)

 本書第四の魅力は、時代考証的興味である。神立は空と海の戦場を概観する一方で、その場面場面に出てくる、ちょっとした小道具や、人間の動作にも注意を怠らない。空母から発艦する搭乗員たちが「艦橋に向かって軽く敬礼すると、めいめいの飛行機に向かって歩いてゆく」(以下傍線筆者)「士官用の折椅子と、下士官兵が座る木の長椅子」「電報取次のが、電信紙の入った電信箱を、大西(長官)に届け」「稲荷寿司の缶詰」(何だそれ? 食べてみたい!)「海軍では禁じられていた麻雀」等々の描写は、レイテ沖海戦の勝敗に劣らず、将来に語り継ぐべき重要な知識である。私は放送局でドラマやドキュメンタリーの時代考証の仕事をしているのでなおさらそれを痛感する。あらゆるメディアで過去を再現する時、何より大事なのは、有職故実のトリビアな事柄だからだ。

 そしてそれは「物・形・動」だけにとどまらず、「言」にも及ぶ。例えば、我々は日常「クルクルパー」という言葉をよく用いる(と思う)。しかし、これがいつ頃からあるものなのか、ある辞書には「昭和三十年頃の流行語」とあるのみ、調べてもどうもよくわからない。だが本書には上官を批判して「クルクルパーになっちゃった」と頭の上で指を回して叫ぶ搭乗員が出てくる。昭和二十年の正月にこの言葉と動作がある以上、この人が成人する過程の、昭和初期の日常会話にも既にあったと無理なく推測できる。これは並の戦記からは絶対に得られない、言語考証上の貴重な実例である。となれば昭和戦前ホームドラマの台詞と所作に取り入れてもよいのだが、まあ、そうは行かないだろう…。

 さらに、特攻隊出撃の直前、兵学校出の若い中尉が、階級は下だが超ベテランの角田にどういう口調で話しかけるか、副官たるもの、長官にどういう時に話しかけるべきでないか、といった会話の実例にとどまらず、記述は専門用語にも及ぶ。海軍航空隊の部隊番号の読み方は独特なもので、その一例として「五八二」は「ごひゃくはちじゅうに」と通し読みではなく「ごおやあふた」と読むが、ちゃんとルビがある。これらをわきまえるだけで、台詞やナレーションの精度は格段に増すだろう。「索敵攻撃(敵艦隊の位置を探しながら飛行し、発見すれば攻撃をかける)」に至っては、大国語辞典にもない、簡にして要を得た説明である。こういう意味で、本書は時代考証の一大宝庫を成している。

 ところで英国推理小説の古典的名作に「時の娘」という歴史ミステリーがある(ジョセフィン・テイ作 早川書房刊)。ロンドン警視庁の敏腕警部が、不慮の事故で負傷入院中、偶々「幼い王子を虐殺して王位を奪した英国史上最大の悪王」と言われるリチャード三世の肖像画を手にした。歴史学の知識こそ皆無だが、長年の経験から警部は「これはどう見ても悪辣な犯罪者の顔ではない」と直感する。そして寝たきりの徒然に様々な文献資料を収集、犯罪捜査の手法でリチャード王の実像を明らかにし、その冤罪を晴らさんとする、というストーリーである。

「特攻の真意」を最初に読んでいた時、「何だか『時の娘』によく似ている」という印象を持った。本書口絵写真の、和室でくつろぐ大西は、どう見ても「もう二千万特攻を出せば勝てる!」と絶叫する半狂乱の人間には見えない。「ひょっとして大西は佯狂の人だったのか、何が彼をそうさせたのか…」という疑問を抑えきれなくなった。しかも著者神立尚紀は戦後生まれで、リチャード王を知らぬがごとく大西提督を知らない。そして警部と同じ様なアプローチによって、過去に切り込んでゆく。「似ている」と思った所以である。

 しかしここで「似ている」というのはあくまでその手法であって、神立は「だから大西中将は、本当はいい人だったのです!」などという安直な結末に飛びついたりはしない。レイテ湾を埋め尽くす米艦隊を回想し「長官か参謀を零戦に乗せて、その様子を見せたかった。見た上で、命令してほしかった」という角田の、悲しみと諦観に満ちた言葉を引くことで、それを示している。

 本書を読み終えて、改めて大西を考える時、その真意、功罪を別にして、何より気の毒な人であった、という思いを禁じ得ない。

 人間があるものを創造すると、その「もの」は創造者の意図をはるかに超えて勝手にひとり歩きをし、やがては創造者をも災厄に巻き込んでしまう、ということがこの世には間々ある。極端な例は「フランケンシュタイン」であり、核の問題もそうだろう。大西はそうした犠牲者の一人と言えなくもない。

 特攻作戦は、単に「敵空母の飛行甲板を使えなくさせる」から始まって、みるみるうちに陸軍にも拡大し、ついに日本人の心に永久に刻印を残してしまった。戦後に及んでは「カミカゼ」は国際語化し、一般人を無差別に殺傷する卑劣なテロの代名詞にも誤用され、また本来人類が普遍的に有しているはずの自己犠牲の精神まで、日本人が実行すると、殊更に「これぞ特攻精神の発露!」等と外国のみならず国内からも、良くも悪くも勘違いされるに至った。

 大西は特攻が「統率の外道」であるとは認識していた。大戦末期の大西の言動にある種の倦怠感が読み取れるのは「とんでもないものが生まれてしまった」意識の表れかもしれない。だが、自分の死後のこうした状況までは予想すらしなかったろう。「百年の後にも知己を得られない」という予言は、本人の思いを超えて悲痛な響きがある。

 大西を許すか否か、特攻の真意を認めるか否か、角田と門司は果たして大西の「知己」たりえたか否か、判定するのは読者の自由である。しかしこの神立の書が、大西瀧治郎への、ある手向けの花となったことは確かである。

 文庫化を機に、本書「特攻の真意」が一人でも多くの日本人に読まれ、過去を観照し、未来を思いやる一助となることを願ってやまない。

(文中敬称略)

特攻の真意
神立尚紀・著

定価:830円+税 発売日:2014年07月10日

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