梶井基次郎や坂口安吾によると、桜の樹の下には妖しい時空が広がっているらしい。青山文平は、白樫の樹の下には、未来の展望が開けない青年たちの、最後の夢の砦があったと言う。『白樫の樹の下で』は、切なくて苦しい青春小説の金字塔である。
いつの時代でも青年たちは、学校や道場で時空を共有しながら、異なる個性と野望を切磋琢磨し合う。青春群像のシンボルとも言える白樫の樹は、作者の青山文平と読者の双方の心の中にも聳えていて、澄み渡った魂の空を背景に、白い葉裏を風でそよがせている。
白樫の樹の下には、伝説の剣豪にして漂泊の武芸者・佐和山正則の道場があった。そこで、三人の若者が友情を培った。時は、江戸時代中期の一七八八年。松平定信が寛政の改革に着手した翌年である。浅間山の噴火や田沼意次(たぬまおきつぐ)の失脚などで、世情は騒然としており、重苦しい閉塞感が漂っていた。
一六一五年の大坂夏の陣によって、平和な時代が到来してから、百七十年余りが経過した。何と長い平和であったことか。第二次世界大戦後の平和ですら、七十年ほどだ。
平和は、すばらしい。そして、ありがたい。だが平和の到来で、軍事集団であった武士は、レゾン・デートルを失った。命がけで戦うべき相手など、もはや世界の果てまで捜し求めても見つからない。
いや、天下泰平の世にも、戦うべき強敵はいた。貧困である。平和ゆえに、大量の武士が失業して浪人となった。浪人にならずに済んだ武士も、俸禄が据え置かれているために、経済的な貧しさに苦しめられた。公儀は支出を削減するので、役に就(つ)けない非役の「小普請組(こぶしんぐみ)」が激増する。たかだか三十俵の収入で、家族全員が生活せねばならない のだ。
絶望的なまでの経済的な貧困は、心の貧困、さらには狂気を生み出す。武器を持って敵を倒すという武士の存在価値も、士農工商の頂点に立って社会正義を実現するという武士の矜恃(きょうじ)も、とうに消え去った。
だが、白樫の樹の下には、武士たらんとする人間の最後の砦があった。師の佐和山正則は、六十七歳の高齢にもかかわらず、武者修行の旅を続けている。この道場で、二代続けての小普請組である三人の若者たちも、自分たちが斬り捨てるべき真実の敵を見つけようと、剣の鍛錬を続けた。
竹刀(しない)による稽古が主流となる中で、彼らはいつの日にか真剣を振るうために、木刀による形稽古(かたげいこ)に励む。ここだけは、宗教界の結界のように、世間の俗塵が忍び寄らない若者たちの聖域だった。
けれども、清浄な白樫の樹の下にも、徐々に恐るべき敵が忍び寄ってきた。困ったことに、貧困という名の敵には輪郭がない。形がないからには、斬ろうにも斬れない。三人の悩みと無力感も、深まってゆく。一心同体の三つ巴だったはずの三人の運命は、いつしか大きく分かれた。
「白樫」の別名は、何と「黒樫」である。樹皮の下の材質が白いのだが、皮自体は黒いので、黒樫なのだ。青年の心の純白を、経済的な貧困と精神的な貧困という黒い魔物が、じわじわと汚染してゆく。
古代の英雄ヤマトタケルは、生まれ故郷の大和に留まることが許されず、辺境の地で戦い、死んだ。臨終に際して、彼は遠く離れた美しい故郷を偲ぶ。
命(いのち)の 全(また)けむ人は 畳薦(たたみこも)
平群(へぐり)の山の 熊白樫(くまかし)が葉を 髻華(うず)に挿せ その子
『白樫の樹の下で』の、三人の若者のうち、ある者は死に、ある者は生き残る。だが、生き残った者にも、死んでいった者にも、ヤマトタケルとは違い、「美しい故郷」はなかった。十八世紀末の江戸は、どこまでもまっすぐに生きようとする人間に居場所を与えない、酷薄な都市だった。それは、二十一世紀の東京でも同じではなかろうか。
青山文平は、戦乱に明け暮れたヤマトタケルを、あえて平和な江戸時代中期に転生させた。そして、原郷なき彷徨を宿命づけられた若者たちの三者三様の人生を、「熊白樫」ならぬ白樫の樹の下で繰り広げたのだ。
さて、白樫の樹の下で青春を燃焼させた、三人の若者の名前を見てみよう。
青木昇平・村上登・仁志兵輔。
彼らが作者の分身であることは、名前からも明らかだ。青山文平の「青」と「平」の二文字が、「青木昇平」に与えられている。青山文平の「山」は、村上登の「登」になった。そして、青山文平の「文」は、仁志兵輔の「兵」の裏返しである。
青山文平は、『白樫の樹の下で』により、第十八回松本清張賞を受賞した「新人」である。しかし、彼はかつて「影山雄作」という名前で、純文学に志した時期があった。影山雄作から青山文平へと生まれ変わった彼は、歴史・時代小説という斬れすぎる武器を握りしめ、初陣(ういじん)に臨んだ。
影山雄作は、青木昇平・村上登・仁志兵輔という三人の若者の死と生を描きたくて、「青山文平」という文学者へと転生した。だから本書は、影山雄作の墓碑銘であると同時に、再誕への祈りと決意を秘めた特別な作品である。
それにしても、『白樫の樹の下で』は不思議な作品である。この小説には、歴史・時代小説には付きものの「成長プログラム」が設定されていないのだ。
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