2004.01.20 書評

『邂逅の森』が産声をあげた時

文: 熊谷 達也 (作家)

『邂逅の森』 (熊谷達也 著)

 私自身、猟はしない。猟どころか、釣りもしない。生き物を殺すことにはほとんど無縁の、ただのもの書きである。その私が、巻き狩りの現場に身を投じ、獲物を目にしたとたん、まるで違う生き物に変じてしまった。

 そして、この時こそが『邂逅(かいこう)の森』というマタギ小説を、世に送り出すことができると確信した瞬間だった。

 ところで、厳密に言えば、現代の日本にマタギはいない。猟のみで生計を立てることは、もはや不可能な時代になっているからだ。だから、私がマタギと言っている彼らは、ふだんは会社員だったり、公務員だったり、あるいは農業や林業を営んでいる、ごくふつうの人々である。一般人との違いといえば、乙種の狩猟免許を所持していて、猟期になると仕事の合間に猟銃を手にする、いわゆるハンターと呼ばれる人種である、ということだけだ。

 したがって、猟をせずとも彼らが飢えることはない。生活が立ち行かなくなる心配もない。しかも、環境保全や自然保護、あるいは動物愛護が声高に叫ばれる昨今、どちらかといえば、肩身の狭い思いをしながら猟をしている。なのに、彼らは、自分たちはマタギであると胸を張り、単なるレジャーハンターとは違うのだとも言う。

 正直、それは詭弁(きべん)にすぎないと、私は思っていた。自分たちの猟を正当化するための言い逃れではないかと、意地の悪い見方をしていた。だから、この作品を書きはじめつつも、自分の中には迷いと疑問があった。今の時代に、マタギ小説を書く意味が果たしてあるのだろうかと、不安を抱えながらの作業が続いていた。

 そんな折り、取材で入り込んでいたマタギ村の頭領から、クマ猟の同行の許可が出た。おそらく、私の迷いや逡巡を見抜いていたのだろう。あるがままの現場を見て、感じた通りのことを書いてくれればそれでいいと、酒を酌(く)み交わしながら穏やかに笑った。

 その結果、野生の動物を追い、自らの手で仕留める興奮と快楽が、狩猟の本質であることを知った。同時に、それによってこそ彼らが生かされていることや、絵に描いたような山間僻地の小さな村に踏み止まり、山と共に暮らしていられることも、私は知った。

 彼らに流れる狩猟民の血は、実は、都会に暮らす我々の中にも、等しく眠っている。それが時として暴れだすと、手に負えないものとなり、社会生活の破壊者となってしまう。だが、猟により、その血を解き放つ経験を蓄積しているマタギたちは、人間に潜む野性や獣性、そして欲望を制御する術(すべ)も知っている。

 山に入ったマタギは、同じ人間とは思えないほど、里にいる時とは顔が変わる。存在そのものが変容する。そんな人間の生の姿を、私は『邂逅の森』という小説で描きたかった。

邂逅の森
熊谷達也・著

定価:本体714円+税 発売日:2006年12月06日

詳しい内容はこちら



こちらもおすすめ
書評初の「震災小説」(2013.08.23)
インタビューほか震災がもたらした 物語の転調(2013.06.11)
書評新たな「東北文学」の誕生(2010.10.20)
書評終戦直後の秋田で語るデカメロン(2010.03.20)