書評

罪と罰のあいだに

文: 佐々木 譲 (作家)

『ユニット』 (佐々木譲 著)

 毎日のように、新しい犯罪が報道され、メディアによってしゃぶりつくされては、また翌日、新しい犯罪が起こって、前日のものに取って代わる。わたしたちは毎日毎日、新しい犯罪を、まるで依存症になったかのような貪欲さで、消費している。

 こんな社会で生きていても、ときおりふだん以上の関心で目を向けてしまう犯罪も起こる。すれっからしになった感受性にも、ぐさりと突き刺さってくる報道がある。痛ましい、と感じて、しばらくのあいだ胸騒ぎが収まらないような事件がある。

 わたしの場合、それは弱い者が一方的に殺されたという事件だ。路上生活者が被害者となった殺人事件とか、いじめ対象の子供へのリンチ殺人、それに、幼い子供が被害者である事件である。

 ときどき自分のウェブサイトに、そのような事件についての感想を書くのだが、あるときいつも厳しいことを言ってくる友人から、お前はひとの生命の価値に序列をつけているのではないかと指摘されたことがある。わたしが「痛ましい」「これは許せない」と感じる殺人事件には、偏りがあるというのだ。

 そのとおりだ。はっきり言ってしまうが、わたしはひとの生命の価値に序列をつけて犯罪報道に接している。詐欺ビジネスの片棒担いでいる男が、詐欺被害者の抱き合い心中に巻き込まれて死んだところで、同情は感じない。暴力団抗争で暴力団員が殺されたところで、何の感慨もない。

 ひとの生命は等しく重い? ひと前では、わたしもそう発言するだろう。一歳の乳児の生命も暴力団員の生命も、等価であると。

 でも本音では、そうは考えていない。たとえば一歳の乳児の生命を奪った者に対する怒りは、暴力団抗争の殺人者に対する感情とはまったく別個のものだ。後者について言えば、どうでもよい。司法が淡々と法に従って裁けばよい。

 しかし、一歳の乳児が殺されたという事件に接した場合、わたしは穏やかではいられない。被害者の両親の胸のうちを思って、いたたまれない気持ちになる。殺害犯に対して、この者には因果応報の原則がしっかりと適用されて欲しいと激しく願う。

 さあて、問題のひとつは、その因果応報の中身だ。犯罪に対して法が定めた刑罰の質と量が、ほんとうに合理性を持っているか、という疑問だ。

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ユニット
佐々木譲・著

定価:本体714円+税 発売日:2005年12月06日

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