書評

高放射能汚染地域〈ゾーン〉をめぐる文学実践。計り知れないほど深くて広い田口ランディの紡ぐ世界

文: 結城 正美 (金沢大学教授・環境文学)

『ゾーンにて』 (田口ランディ 著)

 いきなり話が遠くまで行き過ぎてしまった。少し引き戻そう。田口氏の描くゾーンが単に物理的空間を指すのではないということは、二〇〇六年に刊行されたチェルノブイリ原発事故をめぐるエッセイ「核の時代の希望」、とりわけその最後の一節に既に示唆されていた。

……ベラルーシまで行った。被曝した食物を食べた。その間にも広島を取材し、原爆の小説を書いた。それでも核の問題を自分にまで引き寄せられない。怖いのだ。誰かが核を作っている。それは私ではないが、たぶん私に似たありきたりの人間だろう。賛成しても反対しても誰かと対立してしまう。真剣になると苦しいので突き詰めては考えないことにしている。そんな自分に悩んだりもする。もしかしたら、私は死ぬまで悩むかもしれない。でも、悩み続けるかぎり誰とも闘わないですむ。

 放射能汚染地域「ゾーン」のなかで暮らすアレクセイや老人たちに、私は問いかける。いったいどうやって「ゾーン」で生きていったらいいの?(『寄る辺なき時代の希望』所収)

 立ち入り禁止区域に指定されても村にこっそり戻って畑を耕し、豚を飼い、自給自足の生活を営む人びとがいて、そういう村の一つに田口氏は二〇〇五年の秋にショートステイした。「核の時代の希望」は、その村に住むアレクセイという若者と老人たちに体現された生の「実感」と、チェルノブイリ原発事故と同時期に始まった日本のバブル景気のはかなさや脆弱さを、相互照射的に考察したエッセイである。田口氏と重なる語り手は、原発事故を頭では理解しているのだが実感が持てず、そのことに悩んでいる。そして、悩みながらとりあえず到達したのが、放射性物質で汚染された地域だけでなく、原発の恩恵に浴しているところはどこもゾーンであり、現代都市文明を享受する私たちこそゾーンの作り手であり住人なのだ、という見地であった。

「いったいどうやって『ゾーン』で生きていったらいいの?」おそらく田口氏はずっと悩みながらこの問いに向き合っていたのだろう。二〇一一年三月、日本史上はじめて国土に高放射能汚染地域(ゾーン)が出現したとき、田口氏の文学的反応は早かった。本書の四篇の第一作「ゾーンにて」の発表が『オール讀物』二〇一一年十一月号。その二ヵ月後に同誌に「ゾーンにてII」(文庫化に際し「海辺にて」に改題)が掲載された。この二篇は、田口氏の作品ではおなじみの「羽鳥よう子」という東京在住の作家を主人公とする作品であり、おそらく田口氏はIII、IVと続編を書くつもりでいたのだろう。私がインタビューした二〇一二年二月時点では、「ゾーンにて」シリーズは「羽鳥よう子が変わっていくための物語」として構想されていた(拙著『他火のほうへ――食と文学のインターフェイス』)。しかし、「ゾーンにてII」から一年間のブランクがあり、その後主人公を変えて「牛の楽園」と「モルモット」がそれぞれ「ゾーンにてIII」「ゾーンにてIV」として雑誌発表されたところをみると、田口氏は「羽鳥よう子」一人を追うことに(あるいは、彼女を中心とする恋愛ものとしてのストーリー展開に)行き詰まりを覚えたものと思われる。

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ゾーンにて田口ランディ

定価:本体640円+税発売日:2016年01月04日