書評

高放射能汚染地域〈ゾーン〉をめぐる文学実践。計り知れないほど深くて広い田口ランディの紡ぐ世界

文: 結城 正美 (金沢大学教授・環境文学)

『ゾーンにて』 (田口ランディ 著)

 代わって登場した主人公は、癌で放射線治療を受けている男性(「牛の楽園」)と都市生活で心身のバランスを崩した女性(「モルモット」)である。両者ともに東京在住。名前はない。ひと言でいえば、どちらの作品も頭でわかっている世界から実感にもとづく世界に主人公が移行する話だ。ベラルーシのゾーンを訪問した田口氏は、原発事故を「実感」をもって理解できないことに悩んだわけだが、そういう悩める状態をフィクションの力で乗り越えようとした結果が「牛の楽園」と「モルモット」だといえる。

 この二つの作品では、頭の世界から実感の世界への移行において、〈触れられる〉ことが重要な役割を果たしている。「牛の楽園」では、癌で片肺をとった男が咳きこみ苦しんでいるとき、東京に避難して病院で出会った福島の酪農一家の娘「マミ子」が男の背中をなでる。「僕のいちばん弱いところに触れたときの、[マミ子の]指の感触」を思い出すたびに、男は身体の痛みを「神聖なもの」と感じ、より高次な世界に導かれる。「モルモット」では、衰弱した捨て猫を夜間の動物病院へ連れて行った主人公の女性に、女医の母親らしき老婦人が、たぶん猫よりも衰弱していたこの女性にやさしく声をかけ、そっと背中をなでる。このとき女性の内部で何かが弾け、彼女は仕事を辞め、身体の声に従い北へ向かう。どちらの場合も、背中をなでられたときに、痛みを抱える存在がまるごと受け入れられたという感覚が生まれている。人が人に肩書きや役割で判断されるのではなく、同じ生類として受け入れられているという感覚。それは、恋愛事としての触れる/触れられる世界とは異なるものであり、だから「羽鳥よう子」と「工藤健一」の関係では描くことが難しかったのだろう。

 生類の感覚は、生きとし生けるものを愛おしむという意味で動物愛護と似ているようにみえるが、両者には大きな違いがある。生類の感覚には、保護する人間/保護される動物、という考えはない。基底にあるのは、動物を食べることがその存在を受け入れることであり、その存在との関係に感謝する行為であるという考え方だ。それは、「モルモット」の次の一節で語られるように、「食べ合って生きている」ということの認識にほかならない。

考えてみたら生きものはみんな地球の分身なんだな。どんな生きものもこの星の上で食べ合って生きているんだもの。それぞれに独自の掟があり、そのバランスを保っていることがとても大切で、バランスさえ保てれば、細い綱の上でも立ち続けることができる。

「実感」に導かれて主人公たちがどのような「バランス」を見いだすのか、それは作品を読んで味わっていただきたい。

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ゾーンにて田口ランディ

定価:本体640円+税発売日:2016年01月04日


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