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東大の同級生作家が語る、「ぼくのお薦めミステリ百冊を読破した未須本君」

東大の同級生作家が語る、「ぼくのお薦めミステリ百冊を読破した未須本君」

文:小森 健太朗 (作家・評論家)

『推定脅威』 (未須本有生 著)

出典 : #文庫解説
ジャンル : #エンタメ・ミステリ

 彼と一緒に、本郷通り沿いや神田の古本屋を回ったことがあるのも思い出す。私が下宿していた近所に、今はないF書店という古書店があり、そこには私の興味を引く人文書がかなり置いてあり、棚の一角にはハヤカワポケットミステリなどミステリの古書もどっさり置かれていた。そのF書店で、ミステリの古書の値付けをするのを手伝ったりしたこともあり、その本屋で彼を相手に古書の蘊蓄を語ったりしたこともある。ある日彼と別の古書店に行ったときに、棚にエリザベス・デイリイの『二巻の殺人』が置いてあった。実をいうと私は数日前にF書店で、その『二巻の殺人』を買っていて、「短期間にまたこんな稀書に遭遇するとは」と私がいうと、未須本くんが「それは珍しい本なのか?」と訊いてくる。「ハヤカワポケミスでいま絶版でレア度が高い本のひとつだ」と私は解説した。「海外古書ミステリのレア本の三巨頭は、この『二巻の殺人』とペイジの『古書殺人事件』とセイヤーズの『ピーター卿乗り出す』だ」とまで解説したような気もする。セイヤーズはその後創元推理文庫から新訳が刊行されるが、1980年代半ばの時点では、1960年代に刊行されたセイヤーズの翻訳書は、レアで古書価が高くついていたものだ。すると彼は「じゃあぼくも買う」と言って、その本屋で『二巻の殺人』を買っていたのを覚えている。

 

 彼からはまた「小森くんを通してプログラミングの本質を把握して学ぶことができた」という思い出話を聞かされた。彼がいうには、大学に入ってから初めてコンピューターでのプログラミングをやることになり、それがどういうものかうまく飲み込めず苦戦していたところ、私から聞かされた言葉によって本質が把握できてわかるようになったという。私が言ったのは「プログラミングというのは、単なる計算ではなく、ひとつの言語から別の言語へと翻訳するようなものだ。だから新たに文法を学ぶ必要がある」というようなことだったようだ。この言によって彼はプログラミングへの理解が一挙にひらけたと言っていた。私はその彼の思い出話を聞いたとき、内心苦笑を禁じ得なかった。その件については私の方でも記憶していて、たしかに彼に、大学の情報教室でそんなことを言った思い出がある。しかし私は別にプログラミングに通じた理系人間ではなく、当時文三生として受講していた「コンピューター数学」という授業に悪戦苦闘していた学生だった。その授業で出された課題をこなすために下手なプログラムを自分で組もうとしていたりしたものだから、「プログラミングというのは、翻訳の作業みたいなものだね」という発言が出てきたのだと思う。その言が、発言者の私の意図を超えて、彼に本質直観と本質把握をするのに寄与し貢献したことになる。こういう現象を何と表現すればよいのだろう。出藍の誉れ? いや違う。私が触媒となって、彼の中で予期せぬ化学的変化が生じたようなものである。

 

 ……こんなことを書いていると私は彼にもっぱら教える側にいたかのようだが、そんな一方向的なものではなく、彼は、私が交流した人の中でもトップクラスの博学な知見の広さを有していて、多くのことを彼を通して学ぶ機会をもった。

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推定脅威
未須本有生・著

定価:本体740円+税 発売日:2016年06月10日

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