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歴史の裏通りをひた走った久坂玄瑞の生涯<br />

歴史の裏通りをひた走った久坂玄瑞の生涯

文:小林 慎也 (元朝日新聞西部本社学芸部長)

『花冠の志士 小説久坂玄瑞』 (古川薫 著)

出典 : #文春文庫
ジャンル : #歴史・時代小説

 本書は、昭和五十三年から五十四年にかけて、山口新聞に連載され、五十四年七月に『花冠の志士――久坂玄瑞伝』として文藝春秋から出版されている。

 久坂玄瑞は、高杉晋作や桂小五郎らにくらべ、後世それほどのスポットを浴びていない。維新前夜の元治元年、京都蛤御門の変で敗れて、自決し、わずか二十五歳の生涯を終えた。完走して維新のゴールに達しなかったためかも知れない。

 しかし、短くても、花も実もある、可能性をはらんだ人生だった。

 その可能性を見てゆくと――。

 久坂玄瑞は、萩藩の医師の家の三男として生まれた。次兄は早世、長兄玄機は、蘭学教授で『新撰海軍砲術論』などを訳していた。西欧の学問知識をいちはやく身につけた人物である。その後を継いだのが十五歳のとき。以後十年の軌跡が本篇で詳述される。

 第一章「詩心漂泊」は、早く詩の才能を認められた玄瑞が各地を遊歴するところから始まる。九州の儒者、志士を訪ねて、漢詩を披露する。「六尺ゆたかな体格で声量も充分だから、朗々と響きわたる玄瑞の詩吟は、聴く者をうっとりとさせる」

 早熟な文学青年の魅力的な像である。みずみずしい感受性で、先人の知識を吸収して、自らの未来の糧(かて)にしたことだろう。

 遊歴から戻って、吉田松陰との運命的な出会い。松下村塾で高杉晋作と並び称され、松陰の妹文と結婚する。松陰は、未来を玄瑞に託した。玄瑞は、文学から思想へとスタンスを移し、第二章「憂国の賦」で、激動の時代に踏み込む。やがて、松陰との別れ。

 松陰の後継者として、実践の場に身をおいた玄瑞は、京都、江戸で倒幕、攘夷の機会をうかがう。志士たちとの情報交換の合間に、愛人タツとつかのまの愛を交わす。第三章「志士有情」。

 そして、多感な青春は関門海峡に外国船が来るに及んで、戦火を辞さない。第四章「砲煙に佇つ」では、まっしぐらに「攘夷」へと疾走し、蛤御門でフィナーレを迎える。

 あふれる才に恵まれ、医学、文学、儒学、あるいは、開明的な道と、さまざまな選択肢が開かれていた。「もし――」の仮定を許されれば、そのいずれかに進んだはずである。それを前にしながら、もっとも悲劇的なコースを選んで、短い青春に終止符を打った。

 古川さんの維新群像で、まず指を折るのは高杉晋作である。晋作は二十九歳で世を去ったが、玄瑞は二十五歳。悲劇性でいえば、むしろ若桜のままに散った玄瑞ではないか。

「玄瑞がこよなく愛し、歌にもよく詠んだ花は、桜であった。そして、華やかに、うるわしく、いさぎよいかれの青春にちなんでいうなら、その頭上に戴く武弁は、やはり若桜の花冠でなければならない」

 古川さんは、長篇をこう結んでいる。マラソンの勝者には、オリーブの花飾りの冠が贈られる。古川さんが玄瑞に桜の冠を贈ったのは、短いレースではあっても、それもまたひとつの「人生」という認識があるからだろう。

 玄瑞とその時代のドラマを描く古川さんの筆は、伝記と銘打ったせいか、抑制が利いている。硬質の文体がいつもながら、さえている。だが、その底に、何か流れる感情がみえ隠れする。「詩人」「憂国」「有情」の基底音が随所にちりばめられている。

 単行本の帯に、郷土の先輩にあたる、故・河上徹太郎氏はこう書いている。

「(古川氏の史伝物を読むと)開明的志士桂小五郎でも、保守派の首魁椋梨藤太でも、ともにその心情の底に同じやうな愁ひ、共通する悲しみが流れてゐる。それは作者自身の肌合ひでもあらうが、私には郷土の土の匂ひといつた人間味を感じさせる。今度の久坂玄瑞のやうな猪突的志士にもそれはあるが、これは師吉田松陰の血の温かさを享けたものであらうか?」

 河上氏のいう愁い、悲しみ、温もりと同じ感情が流れている。そこに人間の本質的な姿を見通す作者がいる。作者のやさしいまなざしが見える。人が生きることの哀歓が見事に盛られている。それが、人間の歴史なのだろう。維新の群像に作者がこだわるのは、そこに歴史の実相を、人間の真実を見るからだろう。

 古川さんの作品は、久坂玄瑞に限らず歴史小説、最近の『漂泊者のアリア』や現代小説の『正午位置(アット・ヌーン)』などまで、同じような悲哀の色を刷いている。改めてそう思う。歴史の大河の表面に一度は首を出しながら、結局は、流され、落伍してゆく多くの人達。光と影にたとえるなら、一瞬の光と長い時間の影をだれもが持っている。そこに人間の運命を見すえ、影の部分に自らの思いを沈めて書いているのが、古川さんの文学ではないだろうか。

 疾風怒濤の時代は維新だけではない。それは、昭和という生きがたい時代を生きてきた私たちにも共通する。それが読者と共鳴するところでもあるのだろう。

 古川さんは、直木賞のゴールをくぐり、花の冠をいただいた。そして、新たなマラソンはまだ続く。どんな、いまひとたびの青春の花を咲かせてくれるか、読者の一人として期待したい。

※本稿は一九九一年刊行の旧文庫版に掲載された解説の再録です。

花冠の志士 小説久坂玄瑞
古川薫・著

定価:本体660円+税 発売日:2014年09月02日

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