大名に 木陰の昼寝 うらやまれ
という江戸川柳があります。意味は読んで字の如く。田んぼ仕事のお百姓さんかはたまた天秤棒かつぎの小商人か、きっと昼食をすませた後に木陰でひと休みしていたんでしょう。それを遠望したお殿様が、「百姓町人はのんきでいいなぁ。なまじ大名なんかに生まれたばっかりに、自分はおちおち昼寝もできやしない」と、窮屈な我が身を嘆いているという景色。実際にそういう光景があったかどうかは分かりませんが、少なくともこの句には、上を見て羨むのではなく、自分たちの境遇を楽しむ心のゆとりが溢れています。また、似たような川柳に
大名に 生れぬ徳で 夫婦旅
なんてのもあって、上を見ればきり無し、というのは昔も今も変わらないけど、幸せを感じ取るアンテナは昔の人の方が、我々現代人よりも遥かに鋭敏だったのではないかしらん。
などということを考えながら、『無名の人生』を読了しました。一言で言えば、心の中にこびり付いている欲や煩悩という垢を、ごしごしとこすり取ってくれるような本でした。
曰く「有名になる必要など無い」「お金など、食っていけるだけあればいいではないか」「個性や才能など無いのが普通」etc……。いやはや全くおっしゃる通りです。だけれども、僕らはいつの頃からか、成功への強迫観念でがんじがらめになってはいませんかね? 成功しなければ人生ではない、とまで言うと言い過ぎでしょうけど、少なくとも、人として生まれたからには成功を目指さなければならない、みたいな考え方が蔓延してませんかね? でもこれ、変じゃないですか? だって、僕が成功しなかったからといって誰かに迷惑かける訳ではないんだから、成功を目指そうが目指すまいがそんなことは他人からとやかく言われる筋合いはない筈です。にも関わらず、眼の色を変えて成功することを望んでしまうのは何故なのか? そして、成功した人を羨みながら、自分自身の幸せはなかなか実感できないのは何故なのか?