- 2014.11.05
- 書評
英国調、元祖コージー・ミステリの名作
文:杉江 松恋 (ミステリー評論家)
『「禍いの荷を負う男」亭の殺人』 (マーサ・グライムズ 著/山本俊子 訳)
出典 : #文春文庫
ジャンル :
#エンタメ・ミステリ
『「禍いの荷を負う男」亭の殺人』はグライムズが一九八一年に発表したデビュー作だ。
物語の舞台となるのはイングランド中部ノーサンプトンシャーの小村ロング・ピドルトンである。そこで連続殺人が起き、死体が猟奇的な状況下で発見される。第一の死者ウィリアム・スモールの遺体は、絞殺された上に旅館(イン)〈禍いの荷を負う男〉亭の自家醸造用のビヤ樽に頭から押し込まれた状態であった。もう一人の犠牲者ルーファス・エインズリーは〈ジャックとハンマー〉亭の軒先を飾るからくり人形の代わりに梁に固定され、降りしきる雪に埋れていた。二人は村の人間ではなく、よそ者だった。
死体の発見者の一人であるレディ・アガサ・アードリーのように精神異常者の犯行と信じる向きも多かったが、アガサの甥であるメルローズ・プラントはそうした単純な見方には否定的だった。そうしたところへ、ロンドン警視庁のリチャード・ジュリー警部が派遣されてくるのである。
鄙で起きた事件に、首都から敏腕な刑事が派遣されてくる。フリーマン・ウィルス・クロフツなどが礎(いしずえ)を築いたイギリス警察小説の伝統形式を守った作品だ。ジュリーが尋問する相手は一癖ある人物ばかりであり、事件とは関係ない隠し事をしている者もいるために捜査は混乱する。これもアガサ・クリスティーやドロシー・L・セイヤーズが好んで書いた「雲なす証人」のプロットに忠実である。
本作で初めて登場するリチャード・ジュリーは人生にやや疲れ気味の中年男性だが、敝履の如きむさ苦しさとは無縁だからご安心を。古代ローマの詩人ヴェルギリウスの『アエネーイス』を愛読する教養人であり、ロング・ピドルトンの旅館で目を覚ましたときに「バーフォード・ブリッジの旅館で詩を書いているキーツを思い浮かべ」るような感性も心に宿している。イギリス・ミステリーには警官でありながら詩作でもひとかどの地位を築いている、という文人探偵の系譜があるが(代表例がP・D・ジェイムズの産んだアダム・ダルグリッシュ)そこに連なる人物として創造されているのである。
人に対して柔らかく気遣いをするキャラクターでもあり、本書でも美点が遺憾なく発揮されている。同じ下宿に住むミセス・ワッサーマンに示す思いやり、ロング・ピドルトンで出会ったダブル兄妹に対してみせた親愛の情などはとても印象的だ。こんなに好人物なのに女運が悪く、なぜか恋人に恵まれないというのがジュリーの哀しいところである。
そして彼には相棒というべき人物がいる。前出のメルローズ・プラントだ。家名を冠した屋敷、アードリー・エンドの主である彼は、領主の血筋の正統な後継者である。ところがメルローズは、貴族院議員としての勤めが面倒臭いという理由でアードリー子爵の称号をあっさりと放棄し、忠実な執事であるリヴァンを死ぬほどびっくりさせた。メルローズには一生かかっても使いきれない資産がある上に大学教授の職があり、かつ作家としてのデビューも考えているため、貴族の地位に伴う義務が邪魔なのだ。彼の叔母であるアガサは本来アメリカ人であり、メルローズの叔父と結婚したというだけの女性だが、ぽいと捨てられた貴族の地位を拾って「レディ」と名乗るようになった。俗物の極みのような彼女と高等遊民で俗世間とは遊離しているメルローズ、そして苦労人のジュリーが、本書に始まるシリーズの要をなす登場人物である。
メルローズとジュリーは対照的な性格に見えるが、意気投合して親友と呼ぶべき関係になる。メルローズは〈タイムズ〉のクロスワードをわずか十五分で解いてしまうほどの知性の持ち主だが、謎解きでは従の役割であり、民間人として側面からジュリーを応援する。よせばいいのに素人探偵よろしく事件に首をつっこもうとするアガサは、ともすれば自殺点を入れかねないチームのお荷物といったところ。彼女を牽制しつつ、怪しい証人たちの間をパスを廻しながら二人で潜り抜け、エース・ストライカーであるジュリーがゴールを決める、というのがシリーズ初期に出来上がった定型だ。
最初にグライムズを二人の偉大なイギリス作家に喩えた例を紹介したが、おそらく件の筆者の脳裏にあったのは「クリスティーの創造したセント・メアリ・ミードという舞台」に「セイヤーズの魅力的な探偵が降臨する」という図式だろう。念のために説明しておくと、セント・メアリ・ミードとはクリスティーが創造した名探偵ミス・ジェーン・マープルが住む村の名である。そこは時代に取り残されたような小村で、一見したところ過去の美風がすべて残った理想郷のような場所だ。しかしそこにも人間の醜い思惑が隠されており、隣人に対して憎悪を抱く者がいた。そうした意外性を醸しだす舞台として、クリスティーはかの小村を作ったのだ。また、セイヤーズの産んだ探偵キャラクターとは、貴族探偵ピーター・ウィムジーだ。最初は奇矯な高等遊民として描かれたウィムジーだったが、恋愛などを通して人間としての深みを感じさせる人物へと変貌していく。そのヒーロー性から、イギリス古典探偵小説中では、一、二を争う人気キャラクターとなったのである。根っからのアングロファイル(英国びいき)であるグライムズが、「そうだ。こうすればクリスティーとセイヤーズのいいとこどりになるじゃない」と膝を打つ場面が目に浮かぶようである。
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