- 2014.11.05
- 書評
英国調、元祖コージー・ミステリの名作
文:杉江 松恋 (ミステリー評論家)
『「禍いの荷を負う男」亭の殺人』 (マーサ・グライムズ 著/山本俊子 訳)
出典 : #文春文庫
ジャンル :
#エンタメ・ミステリ
ところが一方で、グライムズには「イギリス黄金期風謎解きミステリー」では済まされない特徴がある。
前述したように初期の作品は、ジュリーら三人のキャラクターを中心とした正統的な謎解きミステリーである。本書の中でグライムズが「雲なす証人」をばら撒く手つきは間違いなくクリスティーらの先人に倣ったものだろう。それ以外にもたとえば奔放な私生活で大人たちの眉をしかめさせている少女ルビー・ジャッドが漏らした謎めいた台詞(第十五章『なんだ、そういうことだったのか』)が大きなヒントになっているという展開や、とある登場人物が残すダイイングメッセージなどの趣向は、謎解きミステリーファンには拍手をもって受け止められるはずだ。
個人的に謎解きの内容で気に入っているのは第二作『「化かされた古狐」亭の憂鬱』で、出色のトリックが用いられている。「黄金期」の系譜をそのまま継承しているのは、この次の『「鎮痛磁気ネックレス」亭の明察』までで、そこからは独自の進化を遂げ始める。
その一つは、作中に憂色が濃厚に出始めることである。その代表例が第七作『「跳ね鹿」亭のひそかな誘惑』で、ある登場人物のモデルがミノタウロス神話のアリアドネであることからもわかるように、グライムズは神話的な悲劇の構造を持ち込んで物語作りを行っている。それ以前の『「酔いどれ家鴨」亭のかくも長き煩悶』がシェイクスピア・オマージュであるなど、先行作品を積極的に取り込もうとする姿勢は明らかだったのだが、ここで明確化した形だ。
また、滅びゆく「古き良きイギリス」への郷愁と並行する形で、崩壊しつつある階級社会を辛辣に見つめる視線も作中に見られるようになってくる。そもそもメルローズというキャラクターを登場させた時点でグライムズの中には社会批判の意図があったのかもしれないが、一九八六年の『「独り残った先駆け馬丁」亭の密会』あたりからはそうした傾向が強くなっていくのである。一九八九年の『「古き沈黙」亭のさても面妖』などは、作中で言及される人名もルー・リードやスティーヴィ・レイ・ヴォーンなどロック・アイコンばかりであり、セント・メアリ・ミードの色はほとんどない。
グライムズ作品が持つ独自色のもう一つは、キャラクターの存在感の強さと、それによって読者に印象づけられる作品ごとの連続性である。
すでに挙げた他に初期作品で印象的だったのはジュリーの部下として毎回帯同させられるアルフレッド・ウィギンズ部長刑事であった。ジュリーは彼のことを初め「憂鬱症のために老け込んでしまった」役立たずだと舐めてかかっているのだが、次第にその中に侮れない知性があることがわかり、バイプレイヤーとして重用するようになっていく。彼の他にも本書でジュリーを「愛のとりこ」にしてしまう女性ヴィヴィアン・リヴィントン(気になった人のために書いておきますが、再登場するんです)や、同性愛者の変わり者として見られているマーシャル・トルーブラッドなど、後の作品に顔を出して準レギュラー化する登場人物は多い。アメリカでの出世作になった『「五つの鐘と貝殻骨」亭の奇縁』などは、ジュリーが再びロング・ピドルトンに戻ってくる話である。
そういった形で、読者にシリーズ作品であることを意識させる要素が非常に強く、かつその中で主人公であるジュリーの中で変化していく部分が描かれる。邦訳後半の作品でジュリーは心の疲れを訴えることが多くなるのだが、それは単なる肉体の疲弊ではなく、悲劇を数多く見てしまったゆえの心の傷の痛みのゆえだろう。そういった具合にジュリーの心の遍歴(とメルローズとの友情)につきあうのがグライムズ作品の正しい読み方なのだ。
その点で残念なのは初期の名物キャラクターであったアガサ叔母の影がどんどん薄くなっていくことだが、代わりに嬉しい要素もある。シリーズ中期以降で印象的なのは、なんといっても第六作『「悶える者を救え」亭の復讐』に登場する、サム・スペードかぶれのタフガイ警官ブライアン・マキャルヴィである。彼のおかげで同作は〈コージー〉要素が限りなく薄くなり、代わりに犯罪小説的な色彩が濃厚になる。おそらく、グライムズ作品がアメリカで人気が出た理由の一つは、このマキャルヴィなのではないだろうか。
まとめて言うと、初期のセント・メアリ・ミードっぽさが払拭され、悲劇を追求する作風が前面に出て、イギリスよりもアメリカ的な要素が強くなったのが中期以降のこのシリーズなのである。にもかかわらず、その中で謎解き趣味を追求しようとするグライムズの姿勢は貫かれ、独自の境地への進化を遂げた。〈黄金期そのまま〉とはいかないが、これが現代風なのだろう、というミステリー・シリーズになったのである。中途で翻訳が途絶えているのが実にもったいない。できれば未訳作品の刊行を望みたいところだ。あのあと、いったいどうなっちゃったんだろうなー。
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