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揺らぎなき視点

揺らぎなき視点

文:手嶋 龍一 (作家・外交ジャーナリスト)

『日本人へ リーダー篇』 (塩野七生 著)


ジャンル : #随筆・エッセイ

「一級のミリタリーは、一級のシビリアンたれ」と呼びかけた防衛大学校の卒業式での送辞には、塩野七生もとりわけ思い入れが深かったのだろう。本書にもそのエッセンスが再録されている。 「あなた方も、明日シビリアンの世界に放り出されても、一級のシビリアンで通用するミリタリーになってください。そしてこれが、古今東西変わらない、一級の武人になる唯一の道だと信じます」

 この後に「若き外務官僚に」という文章が続き、「拒否権」「常任理事国」「海外派兵も可能な軍事力」「核兵器」「他国に援助可能な経済力」が、現代の国家にとって欠かせぬ五本の剣だと断じている。なかでも「拒否権」こそが最重要の武器だと喝破(かっぱ)して見誤らなかった。

「二千年後の現代でも『ヴェトー』というラテン語のままで使われていることが示すように、真の権力とは何かを知りつくしていた古代のローマ人の発明である」

 塩野七生はこう説いて、日本は拒否権という剣を手にした常任理事国の座を自らの手で奪い取れと若き外交官たちを督励した。だが日本の外交当局は、同盟国アメリカさえも味方につけることができず、外交という武器なき戦いに躓(つまず)いてしまった。チェーザレ・ボルジアを知将として抱える塩野七生にとっては、そのあまりに無様な敗北は正視するに堪えなかったにちがいない。ワシントンの地で日本の国連外交の迷走ぶりをつぶさに見た私には、その怜悧(れいり)な敗因の分析に脱帽せざるをえない。

「この連載をやめさせてくれと編集長に願い出たら、まだダメですと一蹴された。時間が無いのではない。書くテーマが無いのでもない。それどころか今の日本も世界も問題山積という状態なのだが、それらに立ち向うのが気が重くなってしまったのだ」

 古代ローマをその武力ではなく英知によって築きあげた指導者たちを書き続けてきたこの人の絶望ぶりが伝わってくる。

「危機の時代は、指導者が頻繁に変わる。首をすげ代えれば、危機も打開できるかと、人々は夢見るのであろうか。だがこれは、夢であって現実ではない」

 この文章が書かれたのが、小泉純一郎政権の時代であることを思えば、この人の言説は、近未来を照射するインテリジェンスの力を秘めていることがわかるだろう。塩野七生は、日本の政治指導者や経済界のリーダーに諫言しているだけではない。主権者たる選挙民へも厳しい警告を発しているのである。

 かつて「文藝春秋」本誌でこのひとの対談相手をつとめたことがある。その折、彼女が老舗料亭の女将なら、そこに出入りする客たちは、男を精緻に品定めする眼力に音をあげるだろうと見立てた。だが料亭「塩野」の女将の醒めた視線を浴びて、この国のリーダーたちが震えあがっているうちはまだいい。語るに値する客がいなくなったと嘆いて、早々に店を閉じてしまいはしないか。昨今の政治の現況は、それほどの惨状を呈している。

日本人へ リーダー篇
塩野 七生・著

定価:893円(税込) 発売日:2010年05月20日

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