――舞台としては秋葉原という先鋭的な街を選ばれたわけですが、男の子たちは、みな自分たちの夢をかなえることで世の中とつながっていこうとしています。その意味では、ずっと昔から展開されている、頑張る少年たちのスタンダードな物語という感じがします。
石田 そのへんは、ぼくの小説のひとつのパターンという気がしますね。『4TEEN』も『池袋ウエストゲートパーク』もそうですし。
小説っていうのは、なんだかんだ言っても、たくさんの人の心から力をもらうものなんです。なので、人々に悪いものは返したくないと思いますね。本当に、作る側が一方的に尖っていくと、空中で咲く花みたいになってきちゃいますから。最初の一花、二花はきれいかもしれないけれど、やっぱり大勢の人の心とつながらないと、力は失せて、もう花は咲かなくなる。
先鋭的になることでどんどん人から離れていって、結局は先細りになる。純文学にしろSFにしろ、二十世紀後半の芸術の歴史はそんな感じでしたから、ちょっとは反省しないといけないですね。そこで数々の屍(しかばね)を見てきたというか。
でもぼくは、いまはもう次の新しいサイクルに入ったと思っているんですよ。
五條 「一億総おたく化」といわれてもう久しいですから。結局みんなおたくですよね。
石田 そうそう。
五條 情報が早くなったから、好きなことに関しては、ぱーっとすぐに集められるじゃないですか。だからいまは、みんな何がしかのおたくですよね。
石田 最低限のラインで普通に生きるんであれば、何をやっても生きていける。さて、じゃ残りのことはといったら、あとは自分で楽しむだけで自分の世界を満たしたい、そんな人が増えたんじゃないでしょうか。でもぼくはそれは決して悪くないと思うんですよ。
五條 この小説に出てくる男の子の平均年齢は二十歳を過ぎてますけど、かなり幼い感じですよね。それもおたくの特長ですね。
石田 おたくの子たちって、だいたいあんな感じだよね。年齢がないんですよ。あるところでカチッと止まってしまって、それ以降の経験がすごく限られる。アルバイトだけやって、休みの日には秋葉原にいるという暮らしを十年やったら、人間変わらないですよ。
でも、ぼくは、みんながいうほどそのことは悪くないと思うんですよ。フリーターだってニートだって、自分の準備ができれば行けばいいのであって、会社に入っても、ろくでもない会社が多いですから。
五條 そう。世の中の生き方って、結局二つしかないわけですよ。組織に入って順応するか、個人でやるか。順応できないんだったら、自分で何かやるしかないんです。組織に入れない側だと思ったら、できないなりの生き方をするべきだと思いますね。
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