書評

水産業の変化と父子の相克を描く
正統派の海洋冒険小説

文: 香山 二三郎 (コラムニスト)

『羅針』 (楡周平 著)

 一九四五年八月一五日、第二次世界大戦に敗れたとき、日本は疲弊しきっていた。多くの犠牲者を出し、植民地を失い、首都東京は焼け野原と化した。国はアメリカを始めとする連合国の占領下に置かれ、経済は混乱の極み。立ち直るまでには膨大な時間がかかるかと思われたが、意外にもそこから奇跡の復興が始まる。

 四〇年代後半に食糧危機に見舞われるものの五〇年からの朝鮮戦争特需もあって復興に拍車がかかり、サンフランシスコ平和条約の公布後、五三年頃には大戦前の経済水準まで戻ったといわれる。五六年の『経済白書』には「もはや戦後ではない」と記され、五〇年代の後半からはさらなる好景気が続くことになる。

 いわゆる高度経済成長の始まりである。

 高度成長はオイルショックが起きる一九七三年まで続き、その後は安定成長期に入るというのが戦後の経済の流れであるが、それから四〇年余を経た今日、高度成長期の記憶は薄れかかっているようにも思われる。この時期における、様々な企業で建設や製品の研究開発に携わった人々の苦労話といえば、ご存じ“プロジェクトX”。二〇〇〇年三月から五年余にわたってTV放映されたNHKの人気番組であるが、それが終わってからも早一〇年近くが経とうとしている。バブル破綻後、長きにわたって低迷している日本経済を立て直していくためにも、高度成長期の軌跡は再検証されていかなければならないだろう。

 本書のポイントもまずは時代背景にあるが、小説ジャンルでいえば海洋もの。高度成長期を支えた礎のひとつ、水産業にスポットを当てた長篇だ。主人公の関本源蔵も船のベテラン機関士で、開巻早々、新造の大型高速冷凍船・栄進丸に乗り組み、サケマス船団が漁をする北太平洋に向かう。一九六二年(昭和三七年)五月のことである。

 本書『羅針』は『別册文藝春秋』二〇一〇年七月号から一一月号、二〇一一年一月号から五月号、そして同年九月号から一一月号まで掲載されたのち、二〇一二年一月、文藝春秋から刊行された。表題の羅針とはもちろん羅針盤の羅針で、船舶や航空機等で方位を計測するコンパスのこと。これがないと、船や飛行機は広い海空のどこに自分がいるのかわからず迷子になってしまう。本書での羅針は別のことも意味するのだが、それを説く前にざっとストーリーを紹介しておこう。

 関本源蔵は妻・涼子の故郷、宮城県仙台近郊の駒木町で暮らしていたが、船の艤装に立ち会うため、家族とともに造船所のある兵庫県相生市に仮住まいをしていた。六歳の秀俊、二歳の隆俊との親子水入らずの暮しもしかし三ヶ月で終わり、再び長い船旅に出なくてはならなかった。「子供の成長を断片的にしか見られぬ」のは「外航船の船乗りの宿命」、出がけに隆俊が頭にケガをし、源蔵は後ろ髪を引かれる思いで旅立つが、いったん海に出てしまえば、家族との連絡は電報でやり取りするほかなかった。

 当初航海は順調と思われたが、天候が崩れかけていた。船長の話では船団と合流する頃、時化に遭いそうだという。船団は難を逃れるべく移動を余儀なくさせられるが、翌日の晩、暴風雨が襲いかかってきた。冬のアリューシャン並みの大波に見舞われた栄進丸も、遭難の危機に直面する。船は何とか持ちこたえたものの、小さな木造の漁船たち――独航船はひとたまりもなかった……。

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羅針
楡周平・著

定価:本体680円+税 発売日:2014年12月04日

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