主人公はジン・カイザワという十八歳の若者。その名前は漢字で書けば貝沢仁だが、カタカナのほうが似つかわしい感じがする。「少年の終わり」と「青年の始まり」のどちらともつかない、微妙な年頃だと冒頭に説明がある。まずそのことが、物語のしなやかな流動性とみずみずしさの源泉になっているように思う。ここに描かれているのは、すでに確固とした何者かであるというよりは、何者かになっていこうとする若者の、まだ不定形の魂の生成、そして冒険を通じての、人生への入門である。
彼は十五歳までは普通に日本で過ごしたが、その後の経歴は普通の日本人のものではまったくない。高校時代はニュージーランドで過ごしたが、高校を出たところで、もう教室では勉強したくないと思い、オーストラリアの港から、ある船に密航者として乗り込む。船の名前は「シンディバード」。『アラビアン・ナイト』に登場する船乗り「シンドバッド」の名前のアラビア語の発音だという。自由な冒険旅行に、これほど相応しい名前はないだろう。そして、このように国境を越え、冒険を求めて密航者にまでなってしまうというジンの行動力は、少々内向きになりかけている最近の日本の多くの若者とは対照的だ。
シンディバードは南極まで行って、そこで適当な氷山を見つけ、曳航してオーストラリアまで持ち帰るという大プロジェクトのために出港するところだった(もっとも氷を実際に曳航するのはこの船の役割ではない。強靭なカーボン・ナノチューブで作られた巨大ブランケットを氷山にかぶせて、それを引っ張っていくのは別のタグボートの仕事になる)。これは氷山を水資源として活用し、人類の水不足を解消しようという計画の最初の試みである。
途方もない話のように聞こえるが、じつは根も葉もない夢想ではない。本書の巻末に挙げられた英語の文献が示しているように、すでに一九七七年にはアイオワ大学で、サウジアラビアの王子の出資により、大規模な国際学会が行われ、地球の水問題を解決するために氷山を水資源として利用するための方法が、真面目に検討されていた。だから、『氷山の南』の設定は、少々SF的ではあっても、突拍子もなく非現実的なものではない。少し手を延ばせば届くかもしれない、そんな「近さ」である。池澤夏樹はこういった科学的問題を小説で扱うときも、曖昧模糊とした文学的ロマンで科学を曲げたりはしない。むしろ、科学的であること自体が本物の文学に通じるような、常に正確で爽やかな書き方をする。
小説の時代設定も、二〇一六年という近未来だ。当然のことというべきか、幸運にもというべきか、人間も世界もそんなには変わっていないようだ。だからこそ読者は、わくわくするような物語に身をゆだねながらも、半ば自分のことのように主人公の経験に感情移入することができる。若いジンの冒険、試練、恋、これから本格的に始まろうとする人生の意味の追求――面白い小説にとって、これ以上は何も要らないくらいだ。あとはページを繰る手ももどかしく、最後まで読み進めるだけ。
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