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ケッタイな問題と私

ケッタイな問題と私

文:角岡 伸彦 (フリーライター)

『はじめての部落問題』 (角岡伸彦 著)


ジャンル : #ノンフィクション

 たとえば、「部落は怖い」とよく言われるが、九九年に大阪府がおこなったアンケート調査では、部落の中にも五人に一人がそう考えているという結果が出ている。下品、遅れている、貧しい、なまけものなどのイメージを持つ比率は、部落内外でさほど変わらない。

「怖い」代表選手はヤクザである。かつてヤクザの多くは、就学や就職の門戸を閉ざされていた部落出身者だった。国や地域を問わず、マイノリティの犯罪率は高い。差別や抑圧がアウトローを生み出すのは、何も部落に限ったことではない。

 ところが部落問題が人権というフィルターを通して語られると、「部落は怖くないんですよ」という話だけで終わってしまう。しかし、差別や抑圧が「怖い部落」を生むのは当たり前の話であって、「部落は怖くない」と言えば嘘になる。時代や情況、個人差によってさまざまな部落があり、「怖い部落」だけを排除することはできない。同じように「部落はやさしい」という見方についても疑問を投げかけた。やっぱり、私は嫌われる。

 部落問題は、日本の歴史と文化が密接に関係している。したがって部落問題論は日本社会論でもある。「部落差別は、なぜ残っているのか」という章で、私が挙げたキーワードは「家」「違い幻想」「異質排除」「差別されることへの恐怖」「普通願望」「世間」「マイナスイメージ」の七つである。

 数ある差別の中で、部落差別だけにあてはまるのが「違い幻想」である。部落の起源には諸説があるが、かつてまことしやかに語られ、信じられてきたのが異民族・異人種起源説である。

 日本民俗学の始祖、柳田国男は「恐クハ牧畜ヲ常習トセル別ノ民族ナルベシ」と論じ、慈善活動家であった竹葉寅一郎は「えたの女が生殖器の構造異なれり」と身体構造の違いを指摘した。今から見れば、完全に“お笑い部落観”である。部落民は異民族でも異人種でもない。ましてやなんらかの身体的特徴を持つわけでもない。部落問題は、血縁と地縁をめぐる同じ日本人の中での差別である。差別する側が根拠とするのは、一世紀以上も前の先祖の身分が賤民(エタ)であったらしいという実にケッタイな問題である。これといった違いがないのに、違いがあるように思われているのである。

 このケッタイな差別に反対したのが、大正から戦中にいたる水平社運動であり、戦後の部落解放運動である。七○年代以降の部落は、同和対策事業によって、経済、教育、就労などにおいて部落外との格差は大幅に改善された。今や部落は、部落外と「同じ」になった。それで果たしてハッピーエンドなのか。これは私たちひとりひとりや日本という国家がどうあるべきなのかという問題とも重なってくる。私の考えは……この続きは、手にとって読んでいただきたい。

はじめての部落問題
角岡伸彦・著

定価:本体730円+税 発売日:2005年11月18日

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