書評

清張さんの「知的好奇心」

文: 重金 敦之 (朝日新聞社社友・常磐大学教授)

『昭和史発掘〈新装版〉』 (松本清張 著)

生涯一小説家

 評論家の川本三郎さんは、清張さんを「旅の詩人」と評したが、清張さんを「自分のテリトリーに案内したい」と感じた人は多い。池波正太郎さんは、「浅草を案内したい」といっていたので、私が清張さんに伝えると、「僕には、浅草で遊んでいる暇はない」の一言で拒絶された。また、宮部みゆきさんは、「下町あたりの話をして差し上げたかった」と発言している(『松本清張研究』第三号)。

 これは、何を意味するのか。「松本清張さんなりに、面白がってはいるけれど、他にもまだまだディープなところがありますよ」という好意だろう。『無宿人別帳』を執筆するに際し、一度も佐渡島には行っていない。地図を見るだけだから、その想像力は凄い。しかし、現地の人やその土地に精通している人からすれば、なにか物足りなさが残るのではないか。清張さんが書く風景は常に旅行者の視線で、生活者のそれではなかったのかもしれない。

 松本清張記念館の藤井康栄館長は、文藝春秋在社時代に自分の貴重な資料を清張さんに貸したところ、誤って古本屋に処分されたことがあったという。私も似たような経験がある。売られたかどうかは、はっきりしないが、朝日新聞社のかなり古い出版物で、美術史家の上野直昭氏と写真家の坂本万七氏による『日本彫刻図録』という資料だった。資料を返して欲しいといったら、ちょっと待ってといって、二階へ探しに行ったけど、戻ったら手に何も持っていなかった。「黒の様式」シリーズの『微笑の儀式』を担当していたときのことだった。

 亡くなる数年前、私の二冊目になる、食と酒の本『気分はいつも食前酒』を差し上げたことがある。食と酒に関してはあまり「面白がる」ことはなかったが、私がその方面に関心があることを知ると、いろいろと尋ねてきた。まだ、「ソムリエ」という言葉が広く使われていない時代だったが、すでにそういう職種があることを知っていた。しかし、いつも「ソムリエ」という言葉が出なかった。「なんていったかな。ほら、ワインの世話をする……」と始まるので、私が「ソムリエですか」という。「そうそう、それ、そのソムリエ」という具合だった。

 ある酒の資料が欲しいというので、『ラルース酒事典』のコピーを持っていったことがある。しばらくしてから、「あの本を買ったよ」と、うれしそうな顔をした。いっとき酒飲みの気分に浸っていたのかもしれない。しばらくして、「君にいいものをあげよう」と言って二階に上がって行ったのだが、また手ぶらで降りてきた。

「無かったよ。どこかへ行っちゃった」

 しょんぼりとしている。私にくれようとしたのは、南仏プロヴァンスの城塞都市、レ・ボーにある有名レストラン「ボー・マニエール」のメニューであった。清張さんが訪ねた時は三つ星だったが、今は星二つになっている。私は店の前を素通りしただけだったから、いただければ嬉しい、といったら、「頼んでもなかなかくれなかったんだ。しょうがないから、だいぶチップをはずんだのに」と見つからなかったのが、いかにも残念そうだった。

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昭和史発掘 1
松本清張・著

定価:本体829円+税 発売日:2005年03月10日

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