ジャーナリストの基本は、「知的好奇心」にある、と大学生に教えているのだが、「知的好奇心」という意味が、そう簡単には理解できないらしい。私の経験からすると、あらゆる事象に対して自ら「面白がる」ことが、「知的好奇心」に他ならないのではないかと思っている。いささか不謹慎ではあるが、ジャーナリストは戦争でも災害でも、ある意味で「面白がっている」ところがあるものなのだ。
松本清張さんも、「面白がる」ことがことのほか好きな人だったといえる。初期の代表作『点と線』では、有名な東京駅の「四分間の空白」であり、『坂道の家』では氷の風呂に入れて殺すというトリックを「面白がった」のだ。その「面白がる」対象は、それこそ森羅万象、古今東西を問わなかった。古今といっても、古代、邪馬台国から昭和史の戦後までだから、そのレパートリーの広さは他の作家には例を見ないし、博覧強記の学識は想像を絶するものがある。
私以外にも、指摘する人は多いのだが、小説が終盤に達し結末が見えてくると、もう次の作品の構想に移ってしまう。だから、結末部分にあまり凝(こ)ることはなかった。「面白がる」部分を書き終えてしまうと、その作品には、すでに興味がなくなってしまい、また次の「面白がる」題材を探すことのほうが楽しくなってくるのだ。見方を変えれば、清張作品(特に短編)の結末は、「技巧的な突き放し」であるとか、「判断を読者に委ねている」ともいえるだろう。また「新たな迷宮を作り出す」一方で、「豊かな余韻を楽しめる」といった読後感もある。
風間完画伯は新潟県の岩室温泉近くの造り酒屋を清張さんと訪ねたさい、大きな酒樽を見て、「風間さん、この樽に死体が入っていたらどうなるかね」と聞かれたといっていた。常にトリックというか、何をみても「面白がる」題材を探していた。リヒテンシュタインの郵便局では、ずらりと並んでいた私書箱の前で、長いあいだじっと佇(たたず)んでいたとも聞いた。「面白がれる」小道具となるか、時間を掛けて思いにふけっていたのだろう。
また自分が「面白がって」読者に「面白く」読ませていればご機嫌なのだが、逆に自分自身が「面白がられる」のは好まなかった。自伝『半生の記』を、後になって書かなければよかった、とほぞをかんだことを考えれば、わかるだろう。そう考えると、文壇長者番付(多額納税者)で、他の作家に負けるのが嫌いだったのも、自分で順位の変動を「面白がって」いたのかもしれない。
連載している雑誌の目次の順序を気にして、自分の名前が某作家の後になるのを嫌がったのも同じ発想かもしれない。穿(うが)った見方をすれば、某作家が長く連載をしているから、敢えて同じ雑誌に寄稿して自分の名前を前に出したかった、とも考えられる。編集部が自分の主張をどう扱うか、「面白がって」いたのではないか。そこから自分への評価を推量し、気にしていたのかもしれない。
もちろん負けず嫌いで、学歴が優先する企業の組織や自分の才能が正当に評価されなかったことへの不満、鬱憤、反逆の精神があったことは否定しない。それが執筆のエネルギーとなったことも間違いないだろう。しかしそれをも自分自身が「面白がって」いたと考えると、すべての平仄(ひょうそく)が合ってくるのではないか。