【第33回】遠藤周作の受賞は「司会者の粘り勝ち」
〈受賞作〉遠藤周作『白い人』
〈候補作〉小沼丹『黄ばんだ風景』『ねんぶつ異聞』/川上宗薫『或る眼醒め』/澤野久雄『未知の人』/長谷川四郎『阿久正の話』/岡田徳次郎『銀杏物語』/坂上弘『息子と恋人』/加藤勝代『馬のにほひ』 昭和30年7月20日、銓衡委員会
鵜飼 直木賞選考会の司会をつとめるのは、「オール讀物」の編集長ですが、芥川賞は月刊誌「文藝春秋」の編集長です。第33回、遠藤周作が『白い人』で取ったときには、司会者が奮闘したようで、宇野浩二は、
〈結局、芥川賞の係りの人が、(一時は「今回こそ該当作なし」と大方きまりかかったのに、)粘りに粘ったために、この『白い人』が賞ときまってしまった〉
〈されば、あの係りの人を、日本文學振興會から、大大的に表彰すべきであろう。〉
と、ちょっと皮肉を込めて書いています。
奥泉 たいていの文学賞は選考委員が4、5人なので、司会はあまり必要ありませんが、芥川賞は現在9人、多いときには11、2人いますから。文芸誌ではなく、ジャーナリスティックな雑誌の編集長が司会をするところがおもしろいですよね。
鵜飼 宇野さんの選評は、いつも実況中継のようだったり、ものすごく長かったりして、すごくおもしろかったですね。昔の選評と今の選評、何か違いを感じましたか?
角田 昔の選評は、自由ですよね。私も、やっぱり宇野浩二さんの選評がものすごく素晴らしくて、すっかり選評ファンになりました。本当に真摯に書いてて、おもしろくて、おちゃめなところもあって。今は、もう少し慎重に書かなければいけないような気がします。それこそ「お嬢さんの水彩画のようだ」なんて書いたら大問題になってしまうから。自分が散々落とされてきた経験からすると、選評って本当に傷つくんですよ(笑)。私はあまりにも落とされてきた回数が多いので、落ちた人が次も小説を書きたいと思えるように、「ここがいけない」ではなく、「こうすればもっとよくなる」と実践を書くように心がけています。
奥泉 僕もデビューしてから、文学賞に9回連続して落ちて、もう一生、縁がないのかなと思った時期が長かった。賞なんて関係ないとは言いながら、やっぱりどこかで傷ついていたんでしょうね、自分が選評を書く立場になると、「頑張れ」みたいなことをどうしても書いてしまう。それに芥川賞は、ちょっと変なこと書くと、すごく怒られそうな感じがするんですよ。でも、よくないですよね、そういう考え方は。やっぱり選評もおもしろくなきゃいけない。
角田 え、取れなかった人に「刺す」とか書かれたら、嫌じゃないですか?
奥泉 それは嫌だけど……(笑)。でも、宇野さんは選考会の様子を書いてくれていて、今読むととてもおもしろいし、資料的な価値もある。僕も、今後はもっと書こうかなと思いました。
司会といえば、僕は半藤一利さんから「文藝春秋」編集長時代の話を聞いたことがあります。司会者の役目はただ一つ、「受賞作なし」にしないこと。とにかく受賞作を出す。出ないと寂しいし、まあ、雑誌の売れ行きが違ったりする。そのわりには、「なし」の時も多いですけどね。
で、半藤さんによれば、開高健さんは期待される水準が高くて、毎回毎回、「なし」っておっしゃるので司会泣かせだった、と。
角田 (笑)。
奥泉 ある時、永井龍男さんがどなたかと意見が食い違って、激しい議論になり、半藤さんはつい「永井さん、黙っててください」って言っちゃった。司会者なのに、と思うけれど、永井さんは文藝春秋のOBだから、言いやすかったのかもしれません。そうしたら永井さんが「わかった、俺はもう戦死だ」と黙ってしまった。で、ようやく受賞作が決まったところで、半藤さんが「永井先生、これで決まったんですけど、どうですか」って振ったら、「死体は口をきかないんだ」(笑)。そんなエピソードも、誰か選評に書いておいてくれたらおもしろいよね。
【第38回】大江vs開高、白熱の選考会
〈受賞作〉開高健『裸の王様』
〈候補作〉大江健三郎『死者の奢り』/川端康夫『涼み台』/真崎浩『暗い地図』/窪田精『狂った時間』/副田義也『闘牛』/吉田克『右京の僧』 昭和33年1月20日、銓衡委員会
鵜飼 今、開高さんの名前が出ましたが、おそらく芥川賞史上もっとも白熱した選考会が、第38回です。大江さんの『死者の奢り』対、開高健『裸の王様』の大激突でした。
開高さんを推す委員を「人生派」、大江さんを推す委員を「唯美派」と丹羽文雄が命名したんですけど、前者は中村光夫、石川達三、佐藤春夫。後者は川端康成、井上靖、舟橋聖一。「2作受賞でどうか」と丹羽文雄が言ったのに、1作を主張する人が多くてまとまらない。最後は、選考会を欠席した宇野浩二に電話で投票を求めた末、1票差で開高さんが勝ちました。
この選評をどう見るかというのは、若い才能をどう見出すのか、考えるうえで重要かもしれません。開高ファンの角田さん、いかがでしょう。
角田 ああ、はい、そうですよね。でも、その次の回で大江さんが取るわけだから……いいんじゃないですか?
鵜飼 確かに(笑)。ところが、次の回で大江さん、「もはや新人じゃない」と言われているんです。というのは、第34回に石原慎太郎さんが受賞して、芥川賞を取るとベストセラーになるという現象が起こりはじめた。これを契機に、ほかの出版社も「群像新人文学賞」や「すばる文学賞」を作ってどんどん新人を発掘し、単行本にして売り出す、という流れができていきます。
大江さんの小説も、発表されるとすぐに単行本になったものですから、〈殆ど流行作家のようで、芥川賞などはもう必要もない人のように思われた〉(第38回、瀧井孝作)、〈大江健三郎が今更、芥川賞候補予選に入っているのは新人の短篇に授与するタテマエから見て妥当であるか否か〉(第39回、佐藤春夫)などと言われています。商業雑誌に何度も発表したり、単行本が出ていれば、もう新人ではない、という見方をされたんですね。石川達三が「新人であるか否かは、銓衡委員会自体が決定する」と、あらためて宣言して、『飼育』で受賞となりました。
奥泉 角田さんは選考委員として、書き手の年齢について、考えます?
角田 いえ、考えません。なので、選評に「この人まだ若すぎるんじゃないか」とか、「もう若くないんじゃないか」とか、書かれる方もいるんだなっていうのが印象的でした。おもしろいですよね、年齢って。例えば15歳で新人賞に応募してきた方について、「まだ若いから、もう1年待ってみよう」っていう意見が出たりしますけど、15歳でしか書けないことがきっとあるはずです。
奥泉 僕も、公募新人賞でも芥川賞でも、書き手の年齢のことは一切考えません。例えば黒田夏子さんは75歳で第148回の芥川賞をお取りになったけど、何の関係もないですね。
鵜飼 坂口安吾が、若くして老成した人もいれば逆もいる、自分が生きてることを常に反問したり、悩んだりすることが青春だとすれば、いくつになっても青春だと書いています。書き手の年齢に関係なく、すぐれた文学は、新鮮な驚きやときめきを与えてくれますね。