「該当作なし」の回の選評がすごい!
【第60回】該当作品なし
〈候補作〉斎藤昌三『夜への落下』/山田稔『犬のように』/阿部昭『未成年』/佐江衆一『客』/山田智彦『父の謝肉祭』/山崎柳子『針魚』/宮原昭夫『待っている時間』/黒井千次『穴と空』/後藤明生『私的生活』 昭和44年1月20日、銓衡委員会
鵜飼 第60回は「該当作なし」。大江vs開高のようにぶつかりあうバトルもすごいんですけど、「なし」はさんざん議論して、まとまらなかったということ。選考委員がみな、残念な思いを選評に熱くぶつけています。
この回もすごい候補で、まずは黒井千次さん。何度か候補になったけど受賞に至らず、のちに芥川賞選考委員になりました。それから「内向の世代」を代表する後藤明生、阿部昭、佐江衆一といった錚々たる顔触れです。ところが選評は厳しくて、とくに石川達三。
〈候補作品九篇を読み通して、私は損をしたような気がした。心に残るもの、心を打たれるもの、全く何も無い。こんな小説ばかり書いていて、何が新人だ……と思った。こんな新人なら一人も居なくてもいい。小説なんか無くなっても構わない、といいたい程の怒りを感じた。〉
三島由紀夫も手厳しい。この選考会は1969年に行われたことを念頭に置いてお聞きください。
〈今度の予選作品を通読してみて、その文学精神の低さにおどろいた。大学も荒廃しているが、文学も荒廃している、という感を禁じえなかった。いかに短篇であっても、ひらめくものはひらめき、かがやくものはかがやくのが文学である。その精神は、現実を転覆させようという意欲において、言葉の力に何ものかを賭けていなければならない。こんな時代だからこそ、ますますそれが求められる。こんなことではバス一台はおろか、三輪車を転覆させることも覚束ない。〉
芸術派としてスタートした三島さんが、晩年になるにつれて、文学と行動との連関を強調するようになっていく、自決する前年の選評だという意味でも注目です。たとえばオウム事件や、3.11といった大きな事件が現実に起きると、現実と文学とはどう関わっていくのか、問題になってきます。学生運動の時代、社会が大きい騒乱の中にあるのに、小さなことしか描いていない、こんなことでは文学とはいえないっていう意見が多かった。
奥泉 今回、選評を読んでみて、「内向の世代」の作家たち、後藤明生や黒井千次などに対する芥川賞選考会の評価が低いことが目立ちましたね。 でも、今の目から見ると、あの激しい政治の季節の中で、いわばそれに背を向けて小説を書き続けた「内向の世代」は、なかなかすごいと思うんですが、そこは当時の芥川賞選考会では評価されにくかったんだな。 僕などは、「戦後派」や「内向の世代」の後裔というか、その遺伝子を受け継いだと自分では思っていますが、この時代、彼らの作品が評価されなかったというのはよくわかります。
角田 第1回からの選評を読んでいくと、何回かごとに、何年かごとに、小説観や小説のあり方が時代とともに変わっていく変換点がはっきりと見える気がします。女流作家についても、ある時期から絶対に「女だから」とか「女性らしい」みたいな評が書かれなくなる。この「該当作なし」の一番厳しい第60回あたりでも、昔の文学から同時代の文学に変わったのかなという印象が非常に強いですね。
奥泉 確かに、明治末期ごろからはじまった日本の近代文学の一つの変わり目が、地味な形でこの60年代末あたりにあるんですね。
【第77回】『エーゲ海に捧ぐ』と永井龍男の辞任
〈受賞作〉三田誠広『僕って何』/池田満寿夫『エーゲ海に捧ぐ』
〈候補作〉高橋揆一郎『観音力疾走』/小林信彦『八月の視野』/上西晴治『オコシップの遺品』/寺久保友哉『こころの匂い』/高橋三千綱『五月の傾斜』/光岡明『奥義』 昭和52年7月14日、銓衡委員会
鵜飼 ところで「第三の新人」というのは「文學界」編集部が命名したんです。「第三の」というと、三等重役とか三等車を連想して、なんとなく低い感じがしませんか。「内向の世代」は文芸評論家の小田切秀雄が名付けたもので、小田切さんは戦後派ですから、「もっと大きな世界のことや戦争のことを書くのが文学だ。こんなみみっちいことを書いて、なんだ、この内向きな文学は」と言った「内向の世代」が、実はそこから、新しい文学の潮流を作っていく。
角田さんがおっしゃったように、時代の変わり目の中で、新しい文学をいかに評価するのか。また、その時代に評価されなくても、今の目でみれば、すぐれた文学があるということでしょうね。
角田 はい。どの回だったか、選考委員のどなたかが、「時代がもう変わったから、僕のような古いタイプの人間じゃなくて、もう少し若い人を選考委員にしたらどうか」って書いておられましたね。そのように書ける勇気は素晴らしいし、偉いなと思って読みました。
鵜飼 それが第77回、三田誠広さんと、版画家として世界的に有名な池田満寿夫さんが候補になったとき。永井龍男の『エーゲ海に捧ぐ』の選評です。
〈精密な素材の配置と文章で組立てられていたが、緻密な描写が拡がるにしたがって、端から文章が死んで行き、これは文学ではないと思った。前衛的な作品と聞いていたが、遠い日本妻の述懐が浄瑠璃風な陰湿な伴奏を繰返し、空虚な痴態だけが延々と続く。〉
〈さて二篇の授賞作のうちの一篇を、まったく認めなかったということは、委員の一人として重要な問題である。前々回の「限りなく透明に近いブルー」に対しても、私は票を入れなかった。共に「前衛的」な作品である。当然委員の資格について検討されなければなるまいと考えた。〉
このときに永井さんは、芥川賞の選考委員を辞任してしまいます。
奥泉 それが、「戦死」した回ですね。
鵜飼 選考委員の任期は定められていないので、ずっとやっていくうちに、ぶつかり合いが出てくる。それでも真摯にぶつかった末に、決断されたわけです。
奥泉 でも、時代とずれたと思っても、やっていていいんじゃないかなと思いますね、僕は。逆にずれていないものが確実にあるのかというと、そうとも言えないと思うんですよ。 僕などは、もう新しいものなんか何もない、というところからスタートしています。だから、「永井さん、新しいものについていけないなんていう発想はしなくていいんじゃないですか」と僕だったら言いますね。永井さんの考える道を突き進んでほしい。その時代ごとの文学のスタンダードなんてありえない。
鵜飼 角田さんもいろんな賞の選考をなさっていますが、だんだん若い世代が出てきたな、とか感じることはありますか?
角田 公募の新人賞の選考現場にこの十何年ずっといるので、変化はとてもよくわかりますよ。流行りだけじゃなくて、地震の前の年と次の年では全然違うし、2年後、3年後でもまた違う。10年ぐらい前と比べると、小説の雰囲気がすごく変わっているんです。
奥泉 確かに、変化はよくわかる。でも、どういう方向に進むのか、見通せるわけじゃない。公募の新人賞には、才能を発掘するというはっきりした意図があるから少し違いますが、芥川賞に関しては、僕は、時代の変化はあるにしても、選考委員が自分の信じる文学、と言いますか、こういうものが読まれてほしいと思う小説を、ただひたすら選べばいいと思うんですよね。
鵜飼 作家が書いた言葉には作家の体重が乗っかっている。思いが乗った言葉が文体を作る。読む側も、そこにその作家の息吹きを感じます。芥川賞の選評は、それぞれの選考委員がとても率直に書いているので、改めて通読すると、まるで文学書を読むようなおもしろさを感じますね。
奥泉 僕なんかは、テキストが全てという立場に立っていて、作者が誰だろうと一切考慮しない。芥川賞の選評も、徐々にテキスト主義的になってきたように感じますが、初期は「進境著しい誰々君にあげる」なんて書いている。さきほどの、第1回の太宰に対する川端康成の選評が典型です。
角田 〈生活に厭な雲あり〉ですね。
奥泉 「あいつは生活が乱れてるから、あげないほうがいい」っていうことでしょう? 純粋に小説の評価ではない見方があったのか、とちょっと驚きます。「誰々君はこのところもう一つだ」とか、「ここでだいぶ飛躍を遂げた」とか、初期はそういう選評も多いですよね。
鵜飼 吉行淳之介は、お父さんが吉行エイスケという作家だから、〈奮励して乃父の遺業を遂げよという席上一同の期待にそむかざらん事を〉(佐藤春夫)なんて言われている。
尾崎一雄の『暢気眼鏡』(注・第5回受賞作)は、貧乏世帯で、いつまで経っても作家になれない作家と奥さんの話なんだけども、川端康成は選評に、
〈とにかく、これらの作品に描かれた夫人に対しても、今回の受賞は喜びたく思われる。〉
なんて書いています(笑)。
奥泉 作品にあげるのか、作家にあげるのか、という問題もある。作品にあげるのなら、何回候補になってもいいわけでしょう? そうじゃないところが非常に微妙ですよね。
角田 それが芥川賞と直木賞の特徴だと思います。何度も候補になった後に受賞したとき、「今までよく頑張って書いてきたねという意味も含めての受賞だと思って、いただきます」とスピーチされる方がおられるじゃないですか。だから、作品に与えられるというより、その人がいかに今まで頑張ってきたかを含めて与えられる賞だ、という印象がすごく強い。
奥泉 今でもそういう感じが残っていますね。僕個人は、そうは考えませんが。