遺稿の中心をなすのは、「オール讀物」に連載された「秋の蝶」(二〇〇八年十二月号)「花晒し」(〇九年四月号)「二つの鉢花」(〇九年九月号)の三作で、元芸者で広小路を預かる元締右京を主人公にしたシリーズである。亡くなった夫甚五郎の後を継いで元締になり、先代の片腕の歳三、甚五郎の友人だった小日向弥十郎にも助けられて揉め事を巧みにこなしていく。
おそらく北重人は、女だてらに町の揉め事を処理する右京の成長譚を意図したのだろう。「秋の蝶」は右京が芸者時代に暴力的に弄(もてあそ)ばれた男と対決する話だし、「花晒し」は若い女性たちを拉致して捨てる男たちを右京が追及する話であるからだ。とりわけ後者の出来がめざましい。過去に暴力をうけた右京が、心身ともに深く傷ついた性的被害者たちと向き合い、トラウマからの脱却と再生を強く打ち出す過程が読ませる。厳しい現実を見すえながら、いかに新たな生へと踏み出すのかを感動的に綴っている。美しい花のような娘たちが晒される意味と、別の意味が込められた題名もまた秀逸である。
もうひとつの「二つの鉢花」は、借金を背負わされた櫛屋の窮状を救うべく、右京が奔走する話である。喧嘩している者たちの意地の張り合いに恋話を交え、うまいぐあいに一つの所に納まるようにする。元締右京の貫禄を示す作品で、このあとどんな風に右京の活躍が語られるのかとても気になるのだが、もう先は読めない。「二つの鉢花」が掲載されたのは、先に示したように「オール讀物」〇九年九月号。発売は八月二十二日あたりだろう。店頭に並んだ四日後に北重人は息をひきとったことになる。
ほかの単発作品についてもふれておこう。
「稲荷繁盛記」(「オール讀物」二〇〇六年十二月号)は、長屋の住民たちが悪辣な追い出しに対抗して、大芝居をうって危機を脱しようとする話である。小さな稲荷を霊験あらたかなものに見せるべく、あの手この手の仕掛けを打つ。文中の言葉を借りるなら“狙い話”、つまり“一ツ所に狙いを付けて、何組も仲間を送り込み、話に真実味と強い印象を与える”策略であるが、これがもう実に楽しい。“狙い組”シリーズというものが作られても良かったのではないかと思うほど、悪人たちを騙し、神社を繁盛させていく手際が鮮やか。海外ミステリの言葉を使うならコンゲーム的な内容で、大いにシリーズ化を考えてもよかったかと思うが、作者はあくまでも単発にしたかったのだろう。終盤の苦い、でもそれがあるからこそ嬉しさと喜びのうらにある悲しみが伝わり、たしかな読後感を覚えさせる。
「恋の柳」(「小説現代」二〇〇九年一月号)は、九歳の子供をもつ寺子屋の女師匠の恋心の揺れを、目もあやな風景とともに語っていく。心の迷いや張りを風景に投影させ、映し出された風景がまた心に流れてきて、うつろいを深める。いかにも北重人らしい、実につややかな人情小説であり、ほかの作品もそうだが、苦難を前にしても負けまいとする心意気が伝わってきて、読む者の心を温かくしてくれる。いい小説だ。
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