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幻のデビュー作を収めた北重人の遺稿集

幻のデビュー作を収めた北重人の遺稿集

文:池上 冬樹 (文芸評論家)

『花晒し』 (北重人 著)

出典 : #文庫解説
ジャンル : #歴史・時代小説

 巻末におかれている「超高層に懸かる月と、骨と」(「オール讀物」一九九九年十一月号)は、前述したようにオール讀物推理小説新人賞受賞作。単行本の遺稿集には収録されなかった文庫版のボーナストラックである。北重人ファンの間で長らく渇望されていた幻のデビュー作であり、時代小説家の原点となる現代小説だ。

 物語は、西新宿の工事現場から白骨死体が発見される場面からはじまる。その記事を読んだ男が、二十三年前の学生時代に住んでいた西新宿を訪れ、関係者と語り合い、過去を思い出しながら、事件の核心へと迫っていく。印象的なのは、アパートの三人の住民たち、すなわち居酒屋初音の“おふくろ”、ホステスの彩さん、トラック運転手のチュウさん。主人公の男は、おふくろから“坊や”とよばれて、四人はおふくろの部屋でよく宴会をした仲だった。ところが彩さんの部屋にやくざらしき男が入り込み、蜜月はおわりをつげる。

「文章に破綻がなく、古い新宿の匂いが濃く出ている。『初音』のおふくろの描写は特に秀逸で、地味にすぎるかと思いながら、この作品を受賞作におしたのは、作者の人物描写の確かな腕を信じるところが大きい」と選考委員の大沢在昌がほめれば、逢坂剛も「新鮮味には欠けるけれども、ノスタルジアを感じさせるいい小説だ。工事現場から古い骨が出る、というのは使い古されたパターンだが、この作者にはそれを補う筆力がある」と推奨している。もちろん「作品全体を通して、なんとなくどこかで見たような、あるいは聞いたような雰囲気が漂っている」(西木正明)「地味な話である。描写の上手さは光っても若い読者には支持される物語ではないだろう」(高橋克彦)という評価もわかる。

 だが、デビュー短篇としては、たしかに地味であるものの、実によく出来ている。青春の残像が叙情的に、また新宿の街に生きる人々の息吹が丁寧に捉えられている。北重人のデビュー作として見たとき、男たちを魅了する女性像(母性的な女性のみならず悪女もまた素敵)、文化と精神の象徴としての建築、経済の基盤であり欲望の対象でもある不動産、さらに人物たちの心象風景を映す月や季節の彩りや風情といったものが魅惑的なものとして提出されている。まだ素材のまま丁寧に出されている感じは否めないけれど、なるほど北重人の原点はここだったのかとファンならしばし思いにふけるだろう。

 新人賞を受賞したとき、北重人は、次のような受賞の言葉を寄せている。「五十に手が届きそうになって、小説を書いた。ほとんど四半世紀ぶりに。ひとつ書くと、ついまたひとつと……。仕事の時間を除くと日常の時間はほとんど残らない。僅かな時間を掻き集めるようにして書く。そんなふうにして書いたものが、受賞の幸運を得たことは、なんとも嬉しいことです」。だが、受賞しても、現代小説の短篇では前に進むことができず、時代小説に転向して五年後に長篇デビューを飾る。五年間の雌伏も、文章と人物と物語にいちだんの色と艶を増すうえで必要だったのである。

 あらためていうまでもなく、北重人の小説は、華やかで、儚くて、寂しくて、悲しい。それでいて温かな感情が静かに脈打っている。本書におさめられている短篇も例外ではない。人生の華やぎをここまで美しく、あでやかに、官能的に描ける作家はいないと、本書を読んであらためて思う。

花晒し
北重人・著

定価:本体620円+税 発売日:2014年11月07日

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