しかし、訳者にはそういったこと以上に思いがけなかったことがある。カムクワンバ少年の描く彼の日常が不思議と懐かしかったのだ。訳者も戦後生まれなので、飢餓を経験したことはない。おやつに燻製ネズミを食べたことも羽アリを炒めたこともない。子供の頃に魔術師に呪いをかけられたこともなければ(たぶん)、ライオンに食い殺された先祖もいない(たぶん)。なのに、ウィリアム少年の少年時代にはなんとも言われぬ郷愁を覚えた。ウィリアム少年同様、トランジスタラジオを分解してみたり、身のまわりのものを利用しておもちゃの鉄砲をつくったりした経験は訳者にもある。それは本書でも語られているとおり、世界のどこであっても子供なら、あるいは男子なら、誰でも一度は経験することで、懐かしさはそのせいかもしれない。

 が、どうもそれだけとは思えないのだ。ウィリアム少年の親や隣人や友人との関係から、彼の日々の思いまで訳者には懐かしかった。アフリカには一度行ったことがあるだけだが、実はその折りにも似たような感慨を覚えた。これは単に個人的なものなのか、世代的なものなのか。アフリカの大地溝帯はヒト出現の地、人類の故郷とされる。ひょっとしてこの懐かしさはヒトのDNAと関係が……などとふと思ったのはさすがに妄想が過ぎるにしろ、そのあたり、本書の本筋からは離れるかもしれないが、読者諸氏のご感想やいかに。

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