2014.04.03 書評

『河北新報のいちばん長い日』解説

文: 後藤 正治 (ノンフィクション作家)

『河北新報のいちばん長い日』 (河北新報社 著)


 宮城・女川(おながわ)町の女川販売所所長の阿部喜英。連絡が途絶えて丸三日目、阿部から本社販売部に、店も自宅も流されたものの無事を知らせる電話が入った。自身の災禍を報告してから阿部は思いもよらない言葉を発した。

《「店はやられたが、配達はできる。今、新聞を取りにそっちに向かっているから、とりあえず五百部、用意してくれ」》

 阿部を突き動かしていたのは避難所での読者の反応だった。テレビもネットも断ち切られた状況下、手持ちの新聞を「壁新聞」として張り出すと、誰もが食い入るように見詰めた。

《「ありがとう」「役に立ったわ」避難者から口々にお礼を言われた。
 これまで新聞を届けて「ありがとう」と言われたことはあっただろうか。「ご苦労さま」とはよく言われるが、「ありがとう」を耳にしたことはない。……
 そんな中、地域の被災状況を丹念に伝える河北の報道に触れ、初めて自分の置かれた状況を知ることができた。地元紙は、暗い足元を照らす明かりのような存在として、確かにあった》


 本書の成立には、震災から一カ月後、記者たちから集められたアンケートが元となっている。さまざまな思いを抱いて取材活動にあたった記者たちの肉声が綴られていた。

 震災翌日、ヘリで石巻上空から空撮を行ったカメラマン。小学校の屋上で「SOS」の文字を作って必死に手を振る人々の姿を痛みを覚えつつ撮った。新聞に写真が載れば、すみやかな救援活動が行われるだろう……。願いを込めた一枚だった。

 けれども検証報道「その時 何が」のなかで、小学校はその後も飢えと寒さのままに放置され、医療チームが派遣されたのが一週間も後だったことが判明する。

《「医療チームが入るまで相当な時間がかかり、あの写真が結果として無力だったことが分かった。いったい報道とは何だ? 俺の仕事は本当に人の役に立っているのだろうか?……」》 

 カメラマンは自己嫌悪に陥りつつ自問自答を繰り返す。

 あるいは福島原発の取材に当たった福島総局の女性記者。放射能汚染が広がった時点で、本社は当地より記者たちの退避指示を出した。記者は故郷の佐渡に一時帰郷したが吹っ切れない。なぜ福島を離れたのか……。

《佐渡から電話取材をした。知っている首長の携帯に電話した。田村市の市長には「記者なんだから電話で聞かないで見に来い」と怒鳴られた。安全な場所にいる自分を呪い、号泣した。……
 佐渡に来てからまともに眠れていない。田村市長の言葉が耳に残る。自分が現場にいないことを恥じた。自分の安全を優先させる者は記者ではない。私は記者なんて大それた仕事に就いてはいけなかったんだ》

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河北新報のいちばん長い日
河北新報社・著

定価:750円+税 発売日:2014年03月07日

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