私たち〈荒蝦夷〉は地域誌『仙台学』を刊行してきた。二〇〇五年に創刊して二〇一四年まで、一五号を出して休刊中だが、その二〇一〇年春刊行の第九号に「気仙沼たてもの散歩 大正昭和港町伝説」を掲載した。リードを引けば「宮城県最北端の港町・気仙沼。カツオ、フカヒレ、カキ、サンマと、海の幸もさることながら、知る人ぞ知る名物がある。大正から昭和にかけての建築群だ。看板建築あり、瀟洒(しょうしゃ)な蔵造りあり、遊び心たっぷりの民家あり──。大火に遭うたび立ち直った気概が、現在の町には息づいている」とある。そんななんともレトロな町を、仙台市の建築家・横山芳一さん、河北新報社気仙沼総局長の今野俊宏さん、町に詳しい元気仙沼・本吉(もとよし)地域広域行政事務組合消防本部消防長の菊田清一さんと共に歩く企画だった(肩書きはすべて当時)。
所有者や住民の話を聞き、建物の内外の写真を撮影して、一日がかりの取材だった。終われば港町に日が落ちた。居酒屋で極上のサカナを摘んで、一杯気分のまま港へ。内湾(ないわん)地区の水面に町の灯りと漁船の電灯が映り込んできらめく。「これが見せたかったんだよ、この景色、いいだろう、気仙沼でこの時間のこの港の風景がいちばん好きなんだ」と今野さんは夜の潮風に手を拡げる。酔いの火照りに、夜風がさわやかだった。酔いどれたちはそのまま今度は気仙沼ホルモンでたっぷりきこしめして、港町の夜は更けた。