なぜ、このような立場も行動原理も他の青年将校たちと大きく異なる人物が、「尊皇討奸」を掲げたクーデターに参加するに至ったのだろうか。
年齢、軍歴、事件時の脱走といったキーワードが、他の青年将校たちとの違いを際立たせているのだが、そうした人物が蹶起ではどのような役割を担ったのか、今までほとんどわからなかったのである。その特異さにもかかわらず、これまで山本又に焦点を当てた記述が少なかった理由は、彼に関する史料がほとんどなかったからだともいえる。
今回公刊された山本の獄中手記は、こうした疑問に答えうるものであり、また事件に参加した将校たちとは明らかに異なる「観察者」としての視点で、二・二六事件の新たな側面が描き出されているといえるように思う。
この解説を書くにあたって、初めに私の手元にある山本の手記について説明しておきたい。これは序文にもあるように、郷土史家の鈴木俊彦氏によって発見されたといってよいだろう。鈴木氏が山本又について調べていなかったら、遺族が見つけた手記は陽の目を見なかった可能性もあるからだ。手記は大きくわけて二種類ある。ひとつは、今回公刊された「二・二六日本革命史」と題されたもの。これは蹶起前夜から事件の終結までと、青年将校たちが銃殺されるまでが描かれている。もうひとつは、獄中で書き続けられた日記である。日記は三冊残っているが、これは主に獄中での生活と信仰について書かれたもので、事件そのものについては記述が少ない。この三冊の日記については後に詳しく述べることにする。
ただし、序文にもあるように、日記には処刑前の青年将校たちから山本に託された言が記されている。
「村中曰ク、後ヲ頼ム。安藤曰ク、山本サン、生キ残ツテ二、二六日本革命史ヲ書イテ下サイ」
安藤に執筆を託されて、獄中で書き上げたのが、この「二・二六日本革命史」だったのである。蹶起した将校たちの獄中手記は、これまでにすべての史料が発見されている。今回のように二十一世紀になってから、新たに発見される原史料は、もうないだろう。その意味でこれは「最後の手記」と言っていい。
そこで、山本の手記が二・二六事件に改めてどのような光を照らすことになるのか、なぜ山本は事件に参加することになったのか、これから見ていくことにする。
本稿は「解説」の一部抜粋です。
続きは本書『二・二六事件蹶起将校 最後の手記』でご覧ください。
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