大震災の前と後で
逢坂 2011年の大震災の日は、どこにいたんですか?
佐々木 札幌の仕事場です。
逢坂 私も神保町の12階の仕事場でした。ずいぶん揺れて、本がボコボコ飛び出してきましたよ。
佐々木 フォーサイスの『オデッサ・ファイル』には、冒頭「ケネディ大統領が暗殺されたとき、自分がどこで何をしていたか憶えている人間は多い」と書かれているんですが、日本人にとっては終戦の日以来、この3・11は決定的な共通体験になったと思います。
逢坂 これまで日本は、昔から地震や台風などがあまりにも多く、普段の災害に対して諦めが早いんですよね。教訓にできなかった反省はあるでしょうが、江戸時代を見ると、大火で家財一切が焼けた翌日から掘立小屋で商売を始めていたりする。何があっても必ず再起するというエネルギーが、災害に度々遭ってきた日本人のDNA中には、きっとあるんじゃないかとも思うんです。
佐々木 さすがに3・11以前と以後では、日本人の考えることは、間違いなく変わってくるでしょうね。
逢坂 でも、作家としての自分は全く変わっていない――私はもともと小説家なんて何の役にも立たないと思っていたからね。今度のことで、その正しさが証明されました(笑)。ただ、物事は色んな面から見ないと分からない。このことは、原発の問題だけでなく、つくづく感じました。考えてみれば、池波さんの小説の中でも、絶対的な善もなければ、絶対的な悪もないですよね。平蔵だってあれだけ人情がありながら、容赦ない拷問だって時にはする。悪の中にも善があり、善の中にも悪があるはず――そこにあからさまな人間の本性が出てくるわけで、そういうものを分かりやすく書くのが、我々エンタメ作家の使命だと改めて思っています。
佐々木 そうですね。
逢坂 読者のためよりも、基本的には自分が楽しいから、自分のために書いているわけだし……(笑)。
佐々木 ええ、エンタメ作家はみんなそうですよ。
(「オール讀物」2012年4月号)