たとえば1942年2月、日本がシンガポールを陥落させ戦勝ムードに沸いた時には、白馬に乗って二重橋に登場し、広場の国民が遠く仰ぎ見る「神」として現れます。一方で全国青年学校生徒親閲式などでは広場に設けられた簡単な台座に立ち、行進する若者のごく間近に立つことで「人間」としての近しさを出しています。儀式によって、道具立ても国民との距離の取り方も変わるのです。激しい調子の演説で民衆の心をつかんだヒトラーとは違い、声を基本的には発さない天皇はこうして「神」と「人間」を巧みに使い分けたのではないか。そんなことにも気づくことになりました。
「完本」として出すにあたって、この9月に初公開された『昭和天皇実録』に記載されている新事実もいくつか加筆しました。
たとえば戦後占領期の1946年8月には、散策途中の天皇が土堤の上から、広場で行われているインド軍や米軍のパレードを少なくとも二回見ていることがわかりました。この体験は天皇にとって屈辱的だったはずだと私は見ています。戦中は「天皇陛下万歳」の声にあふれた広場が、今や連合国軍の舞台に様変わりしている。主人公が完全に入れ替わってしまったことを、見せつけられる思いだったに違いありません。
巻末の年表に記したように、占領期の連合国軍と左翼勢力は対抗して広場を頻繁に使っています。この激突はぜひ本書で味わってみてください。
平成に入ってからの皇居前広場といえば、あくまで天皇のためのイベントしかなされていません。それも1999年に天皇在位10年を祝う「国民祭典」でX JAPANのYOSHIKIが奉祝曲を演奏し、2009年には在位20年を祝う「国民祭典」でEXILEが踊ったことが記憶される程度です。震災後、首相官邸前を取り巻いた反原発デモが広場へ流れてくることもありませんでした。
広場の歴史を俯瞰した私からすれば、現在のこの何もなさが不思議でなりません。首都圏の人間にすら忘却されている東京のエアポケットですが、いつも静かなこの広場には、今では考えられないような驚くべき歴史が幾層にも重なって眠っているのですから。
「場所」にこだわる政治学者として、今後もこの「禁域」からは目が離せません。
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『赤毛のアン論』松本侑子・著
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