貞子さんの語りは、読むだけでこちらも幸せな気持ちになってくる。三島との日々の幸せが伝わってくるからだろう。それだけに二人が別れたことは、三島にとって作家として、男として大きな損失だったと思わざるを得ない。
かつての恋人との幸福な思い出のあと、三島の親友で『鏡子の家』のモデルとして知られる湯浅あつ子さんの証言は、ある意味恋人の貞子さんよりも深く、また客観的に三島の素顔をとらえているように思う。
三島が貞子さんに惹かれたのを、あつ子さんはごく当然のことだと語る。これが第一章の「運命愛」と呼ぶ所以へと繋がっていく。三島は美しいものに惹かれる運命にあり、美しいものへの敏感さが彼を作家にし、貞子さんへと心を向かわせたのだ。
美しい景色や音楽に触れたとき、心が洗われる思いがする。それと同じく、三島はただ美しいものを愛し、大切にした。
三島と貞子さん、二人の運命がはぐれてしまった理由は、貞子さんが若すぎたせいかもしれない。しかしあつ子さんの証言から、貞子さんは三島よりもはるかに精神的には大人だったとも感じられた。
三島が貞子さんの前では大人として振る舞ったように、貞子さんは十歳年下のかわいい「だこ」であろうとしたのだろう。恋愛は、その最中にいる当人たちは意識しないまま、互いを釣り合わせるようバランスをとり続けるようなところがある。恋愛の思いがけないパワーは三島の場合、作品に大いに反映された。だから彼が亡くなった今も、貞子さんの話と重ね合わせながら、三島が間違いなく幸福だった軌跡を作品から追うことが出来るのだ。
かつての恋人と親友からこれだけの話を引き出した岩下氏には恐れ入る。ノンフィクション作品には、作中著者が気配を消すものもあるが、本書は岩下氏が聞き手としてあえて顔を出す。むしろこのインタビューは氏でなければ成立しなかっただろう。十代の時から能、歌舞伎、新派劇、新喜劇、新劇、舞踊、声曲などに触れてきた氏は、もともと芸事の知識を備えており、新橋演舞場に勤めるようになってさらに審美眼を磨いたことが巡り巡って、豊田貞子さんが三島の作品のモデルでかつての恋人であったことに気づくに至る。
三島の知られざる恋に出会った本書だが、しばしば挟み込まれる花柳界のエピソードが興味深い。大正から昭和にかけて全盛を誇った赤坂の花街で育まれた貞子さんの語りに導かれ、見たことのない華やかな世界と出会った。
そういう意味で、本書には重要な出会いがいくつも描かれる。三島と貞子さんの出会い、岩下氏と二人の女性の出会い。三島はもういないのに、本書のそこかしこに三島の気配が漂い、その澄んだ目が瞼に浮かぶ。
わたし自身、三島由紀夫研究において、重要な意味を持つ一冊と出会えたことを最後に添えておきたい。
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