この本の冒頭の三章にはそれぞれ、神話的な人物に関する古代伝承が記されている。
第一は聖徳太子で、甲斐の国から献じられた漆黒の神馬にまたがって、雲を踏み霧をしのいで富士山頂に至り、信濃から越(こし)の国を電光のように飛びめぐったという『聖徳太子伝暦』の伝えである。ギリシャ神話のペガサスや、ニーベルンゲンの歌のジークフリートが乗る天馬を思わせる姿である。
第二は『常陸国風土記』に伝えられるもので、神々のうちの祖神が「み祖(おや)の神」として巡行して来た時、福慈(ふじ)の神は冷たくあしらったが、筑波の神はその夜が神聖な新嘗の夜であるにもかかわらず、祖神をあたたかくもてなした。祖神の呪いによって、福慈の山は常に雪の降っている荒涼とした山となり、筑波山は人が登って歌舞や飲食をたのしむ明るい山となったという。
第三には『日本霊異記』や『今昔物語集』『扶桑略記』などに伝えられる、修験道の開祖の役(えん)の行者に関するもので、罪あって伊豆に流されるが、術を使って海上を走り、空を飛んで、夜は富士の山で修行をつみ富士明神の神助を得て罪を許され、ついには唐土へ渡ったという。
こうした神話的な伝承の中に、後世の富士山をめぐる日本人の心意の伝承の諸要素が、およそ含まれているような気がする。富士の神を木花咲耶姫(このはなさくやひめ)とむすびつけて女性神だと考える道筋も、御祖神(母系の祖神)としての伝えに見えているし、富士の神を浅間(せんげん)様と考えてゆく道筋も、聖徳太子が富士から信濃・越の国を経めぐる経路の上にすでに暗示されているようである。そして東国の東歌に、
霞ゐる富士の山辺(やまび)にわが来なば
いづち向きてか妹(いも)が嘆かむ
天のはら富士の柴やま木(こ)の暗(くれ)の
時移(ゆつ)りなば逢はずかもあらむ
とあるように、日本人は折々の心をこめて富士の姿を仰ぎながら、それぞれの情念をからめて富士をめぐる学を生み出してきたのであった。
折しも、富士山頂の測候所の閉鎖が報じられている。富士の煙は絶えて久しいが、その内にはなお熱い火を抱いたままである。この山をめぐる日本人の心は、過去の熱い文学的伝承をかかえて、どう変化してゆくのであろうか。そのことを考えずにはいられない気持にさせられる書物である。
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