成田山新勝寺は、一千余年の歴史の中で、江戸中期に於ける活発な布教活動によって今日の興隆の礎(いしずえ)を築いた。その一つが江戸出開帳(でがいちょう)の成功であり、また初代團十郎利生譚歌舞伎の興行である。
成田は江戸から十七里余の地点にある。当時の佐倉藩の寺社保護政策と相俟(あいま)って不動信仰が広がりつつある中で、農業の労働力確保に向けた幕府の「人返(ひとがえ)し」令をよそに、成田から江戸へ流入する者が絶えなかった。彼らは、江戸に不動信仰を持ち込む役割を大いに果たしたのである。その一人が初代團十郎の父堀越重蔵(ほりこしじゅうぞう)でもあった。
重蔵は、成田山に程近い下総(しもうさ)国埴生(はぶ)郡幡谷(はたや)村(現成田市幡谷)の出身で、妻お時との間にできた子どもが海老蔵であり、この物語の主人公、後の初代團十郎である。
海老蔵は、十二歳の時、父の友人で山村座四世座主山村長太夫の紹介により、歌舞伎の道に入った。初舞台は延宝元年(一六七三)、十四歳の中村座「四天王稚立(おさなだち)」である。この時彼は海老蔵改め市川段十郎(段を團にしたのは元禄六年)を名乗り、坂田金時(さかたのきんとき)を演じた。それはただの少年の初舞台ではなく、紅と墨とで顔を隈取り、舞台狭しとばかりに大立ち回りを行い江戸の人々を驚嘆させたのである。
初舞台を順調にすべり出した初代は、延宝三年(一六七五)の山村座『勝鬨誉曽我(かちどきほまれそが)』で曽我五郎(ごろう)を演じたのを手始めに、『不破(ふわ)』『暫(しばらく)』『勧進帳(かんじんちょう)』などを演じ、瞬く間に名声を高めていったのである。貞享五年(一六八八)刊行の『野郎役者風流鏡(やろうやくしゃふうりゅうかがみ)』では、初代を「およそこの人ほど出世なさるる芸者、異国本朝に又とあるまじ(中略)お江戸において肩を並ぶる者あらじ、威勢天が下に輝き、おそらくは末代の役者の鑑ともなるべき人なり」と絶賛している。初代は二十九歳、舞台を踏んでまだ二十年に至らない時である。
しかし役者の最高位に前進する初代にも、男子に恵まれないという大きな悩みがあった。悩みぬいた初代は、父祖以来より信仰していた成田村の成田山新勝寺御本尊不動明王に祈願した。そして元禄元年十月、霊験(れいげん)あらたかに長子九蔵(後の二代目團十郎)を授かったのである。
尚、初代が子授け祈願した当時の本堂(明暦の本堂)は、今は薬師堂として成田山参道仲町坂上に移築され、文化財として保存されている。
こうして初代は、成田山不動明王のご霊験に報いるため、元禄八年(一六九五)、山村座での『一心二河白道(いっしんにがびゃくどう)』で自ら不動明王を演じた。さらに同十年(一六九七)、中村座の『兵根元曽我(つわものこんげんそが)』では、その三番目の幕切れに初舞台を踏む九蔵が山伏通力坊と不動明王、初代が竹抜き五郎(曽我五郎)に扮し、親子して成田山の仏恩に深く感謝したのである。
この芝居には、成田村から大勢の見物人が詰めかけ、舞台で演じられる不動明王に賽銭(さいせん)が投じられた。そして人々は成田山の霊験を受けた團十郎親子に対し、だれ言うとなく「成田屋」と掛け声をかけた。これが歌舞伎界の屋号の始まりと聞く。
元禄十六年(一七〇三)四月、江戸深川永代寺境内で初の成田山出開帳を奉修。これに合わせて森田座では「成田山分身(ふんじん)不動」が上演された。初代が成田山不動明王のご利益により子どもを授かったという体験を脚色し、胎蔵界(たいぞうかい)の不動明王を初代が、金剛界(こんごうかい)の不動明王を息子九蔵が演じたもので、すなわち九蔵こと二代目は成田山不動明王の分身であるという筋書きである。初代にあやかりたいとする歌舞伎愛好者は開帳場に群れをなし、成田不動の霊験記を見ようとする信者は芝居小屋に押し寄せ、成田山と團十郎の人気は同時に高まり、開帳は大成功を収めたのである。
後の七代目が定めた「歌舞伎十八番」の原型のほとんどは、初代の自作自演で創作したものであり、その一つに「不動」がある。市川家の荒事(あらごと)と不動信仰は、その出発点で固く結ばれている。歴代の團十郎が不動明王を演ずる時の見得(みえ)の一つに片方の黒眼を伏せる「不動の見得」という秘伝があるが、この表現法は正に初代が七日間成田山に参籠して感得したと伝えられる。
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