インタビューほか

なぜか無性に漁師を書きたくなった

「本の話」編集部

『漁師の愛人』 (森絵都 著)

――この3篇、怒りとユーモアが近しい関係にあるのを実感させてくれます。中編2篇はかなり趣が違いますが、もともとこの長さでと考えておられたのでしょうか。

 2篇とも、中編を書こうというよりは、書いているうちに長くなってしまったかたちですね。結果的には特集にならなかったのですが、『オール』の特集のために震災を扱ったものを、という依頼をいただいて書いたのが「あの日以降」でした。まだ直後のことで躊躇もあったのですが、これほど大きな出来事があったのに定期的に書き継いでいるシリーズにその影がなにも反映されないのはどうなのだろう、という気持ちもあって、受け止めきれない部分も含めて描いてみようと決めて書きはじめた小説です。東京での試練は被災地に比べればごく小さなものでしたが、そこにはやはり普通ではない毎日がありました。それを小説の中に残したいという思いもありました。

――表題作の「漁師の愛人」ですが、帯の「ずるい男」、これは長尾のことでしょうね。

 ずるくない男はいないと思いますよ(笑)。自分のずるさに気づいていないのもまたずるい。音楽プロデューサーの職を失った長尾は漁師になり、東京にいた頃よりも逞しくなって、ずるさも筋金入りになっていきます。海という絶対的存在の懐に飛びこんだら、陸の面倒なことなんてますます何も考えなくなっていくんじゃないかと。彼についてきた紗江にとってはしんどい毎日ですよね。

――紗江の仕事は、音を拾って楽譜に記していくものですが、ユニークな職業だと思いました。地方でもこつこつできる仕事ですし、なにより小説の中の音を意識させますね。

 新しい小説を書くときはいつも、主人公にどんな仕事をさせようか考えるんですけど、採譜は紗江にしっくりきました。音楽の音を拾うだけではなくて、習い性として生活の中の音、波の音や雨やそういったものも繊細に拾っていくイメージが。

――ところで、なぜ漁師だったんでしょう。

 なぜか無性に漁師を書きたくなったんです。私自身は、山派か海派かというと山派なんですけど、海にしても畑にしても、その日に収穫したものをその日に食べるシンプルな生活への憧れというのがありまして。夫が失業したとき、今だと思って漁師への転身を勧めてみたのですが、即答で断られました。未練を引きずっていたのかもしれません。

漁師の愛人
森 絵都・著

定価:1300円+税 発売日:2013年12月16日

詳しい内容はこちら  特設サイトはこちら