母国語でさえこの調子なのだから、日本に生まれて日本で育ったイチローが、ここまでのニュアンスを正確に英語で話せるようになるのがいかに難しいか、容易に想像がつくだろう。イチローが英語での取材に必ず通訳を介そうとするのは、それだけファンに言葉を伝える取材という場を大事に考えている、ということにもなる。
以前、ある雑誌に寄稿したエッセイの中で、こんなエピソードを披露したことがあった。
イチローに「コーヒーか、それとも紅茶か、どちらがいいですか」と聞かれた。何の気なしに、こう答える。
「あ、じゃあ、紅茶で……」
そんな迂闊(うかつ)な言葉を発しようものなら、イチローはすかさず、こう切り返してくる。
「紅茶“で”いいのか、紅茶“が”いいのか、どっちですか」
相手への気遣いを含んだ遠慮がちな返答に対し、もてなす側のイチローは、紅茶を飲みたいのか、それともどちらでもいいけど紅茶なのか、正確なニュアンスを知りたがる。決して揚げ足を取っているわけではなく、彼はもてなすということにおいても妥協しないのである。
イチローはよく「チームが苦しいときほど、自分のことに集中したい」という類(たぐい)の言葉を口にする。この言葉は日米問わず、ファンやメディア、ときにはチームメイトにさえもなかなか理解されなかった。イチローは自分さえヒットを打っていればそれでいいのか、と受け取られてしまったのだ。
しかし、イチローのこの言葉を、もう一度、よく噛(か)み締めて欲しい。
チームが苦しいときほど、自分のことに集中しようとイチローは言っているのだ。つまり、自分以外のことに気を配る余裕があるのならまずプロとして自分の仕事を完璧にこなせ、そうすればチームは自然と機能するはずだ、ということを伝えたいのである。他のパーツが不具合だからと、別のパーツがその分をカバーしようとした結果、本来の仕事が疎(おろそ)かになってしまっては、チームが機能するはずがない。
チームのために、といえば聞こえがいい。しかし、チームのために何ができるのか。自分の仕事を全うすること以外、何もない。自分のために──イチローは、感じることをそのまま言葉に置き換える。
そんなイチローが紡いだ、十年分の言葉。研(と)ぎ澄まされた、繊細で大胆な言葉の数々を、この『イチロー・インタヴューズ』でぜひ、味わって欲しいと思う。
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