イチローは焼きそばを食べていた。
1994年10月8日、このシーズン、オリックス・ブルーウェーブ(現・オリックス・バファローズ)で初めて200本安打を達成したイチローこと、鈴木一朗はナゴヤ球場の三塁側スタンドで焼きそばを食べながら「10・8決戦」を観戦していた。
元々、名古屋近郊の豊山町出身で子供の頃からの中日ファン。ただ、それだけではなかったのだろう。野球小僧としての血が騒いだのだ。
「どうしても球場に行って実際に観戦したい」
この日、神戸から急遽、新幹線に飛び乗って駆けつけてきたのである。
プロ野球が人を引きつける魅力とは、いったい何なのか?
鍛え抜かれたプロフェッショナルたちの信じられないようなプレー、唸りをあげる豪速球や豪快に放たれる本塁打の放物線、アクロバティックなファインプレー……。思わずため息をつくようなそうしたプレーに魅了されることも一つの理由だ。
贔屓(ひいき)のチームの勝利と敗北に一喜一憂し、選手の活躍を祈り、スタンドから声をからして応援をする楽しさと一体感。それも球場に足を運ぶ理由の一つだ。
だが、本当に興奮できるのは、すべてをなげうって、投手と打者が、チームとチームがむき出しの勝負をしている姿しかないのではないだろうか。
自分を思い返してみる。
スポーツ紙の野球記者として20年余り、フリーのジャーナリストとして10年、合わせて30年以上、仕事としてプロ野球を見続けてきた。その中で本当に興奮した試合は、突きつめるとたったの2試合しかない。
一つは松井秀喜を追いかけて渡米した2003年のリーグ・チャンピオンシップ・シリーズ第7戦、ニューヨーク・ヤンキースとボストン・レッドソックスの激闘だった。
この試合は「ゲーム・セブン」と呼ばれて、後にも語り草になる名勝負だったが、8回に3点を追うヤンキースがデレク・ジーターの二塁打などから一気に追いついた。同点のホームに滑り込んだ瞬間に松井が飛び上がって見せたガッツポーズは今でもまぶたに焼き付いている。
それ以上の試合だったのが、この「10・8決戦」である。
二つの試合は、いずれもお互いが後のない状況で、ただ勝つためだけに闘志をむき出しに戦った試合だということだ。だからそこには生の人間がいて、想像を超えたドラマがある。しかも「10・8決戦」は長いペナントの最終戦での同率決戦という二度とないであろう戦いだったことで興奮は倍加された。