書評

『火群のごとく』解説

文: 北上 次郎 (文芸評論家)

『火群のごとく』 (あさのあつこ 著)

 透馬が江戸にいたときの剣の先生が新里結之丞。林弥の兄である。幼い透馬が結之丞と出会う場面がいい。「そなたに剣を教えてやろう」と言われた透馬は、強くなりたいと願いのままを口にして、「強くなってどうする」と新里結之丞に尋ねられる。

「強くなれば……」

 幼い透馬は自分の思いをうまく言葉に出来ない。それがもどかしい。答えはほろりと零れ出る。「好きな所に行ける」

「行きたい所があるのか」「あります」「どこだ」「熊屋」

 熊屋とは、透馬の祖父が営む経師屋である。糊と木と紙の匂いのする熊屋には、母がいて、祖父がいる。

 その少年が自然豊かな小舞藩にやってきたのは、剣の先生である結之丞が二年前、何者かに斬り殺されたからだ。しかも刀を抜かぬまま背後から斬りつけられていた。江戸からやってきた透馬は、先生がそんな死に方をするわけがなく、それを調べたいという。

 もちろんその事情は林弥も変わらない。後ろ疵の死は武士の恥でもあり、その士道不覚悟と、家督を継いだ林弥が若年であることを理由に、家禄は三分の一を削られたのである。兄の死の真相を調べたい気持ちは、当然ながら林弥も強い。

 この二人を繋ぐのは、強い怒りだ。

「おまえに教えねばならぬものはまだ、多々ある。これからだ、心しておけ」と兄に言われたことを林弥はまだ忘れない。道場の高弟として名を馳せていた十五歳年上の兄を、林弥は誰よりも尊敬していたから、その兄が「励めよ。おまえには才がある」と言ってくれたのは身震いするほど嬉しい。

 その兄が「おまえに教えねばならぬものはまだ、多々ある」と言ったのである。「明日は非番だ。たっぷり稽古をつけてやろう」と言ったのである。これは約束にほかならない。しかし兄はその夜、帰らぬ人となる。兄にもう会うことは出来ないという悲しみの裏に、約束したではないか、という強い怒りが林弥にはある。

 同様の悲しみと怒りは、透馬にもある。結之丞が江戸を発って国に帰るとき、「必ず、また会おう。それまで精進しておけ」と言われたことを透馬は忘れない。

 つまり林弥も透馬も、結之丞にふたたび剣を教えてもらう約束をしていたのに、それが果たされなかった。その悲しみと怒りが、この物語を押し進めていく。その天賦の才をどちらが結之丞により認められていたのか、愛されていたのかというライバル心もある。しかしともに結之丞を強く尊敬していたという思いでこの二人は強く繋がっている。こうして二人の少年は、結之丞の死の謎を調べ始める。

 まだまだ読みどころはある。兄嫁の七緒に寄せる思慕が全編に甘さを与えていることは見逃せないし、源吾が去っていく後ろ姿も印象深い。源吾は秋たけなわの光の中に出ていくのだが、光と一体になってその後ろ姿が溶け込んでいくシーンは美しい。

 その静かな文体も、巧みな構成も、群を抜く造形も、そして鮮やかな描写も、すべてが素晴らしい。あさのあつこの傑作だ。

火群のごとく
あさのあつこ・著

定価:620円(税込) 発売日:2013年07月10日

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