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登山家、がんという難ルートを歩む

登山家、がんという難ルートを歩む

文:北村 節子 (元・読売新聞記者 元・女子登攀クラブ)

『それでもわたしは山に登る』 (田部井淳子 著)


ジャンル : #随筆・エッセイ

 本書の帯「余命三カ月!?」に驚く人も多いに違いない。

 あの田部井さんが? 世界で初めてエベレストに登った女性でしょ? 今だって東北応援とかいろいろ活動してるじゃない! TVでもよく見るわよ、明るいおばさんよね。がんなの?

 そう、これは世間に「元気女性のシンボル」と思われているベテラン登山家の、がんという難ルートへの対応心得の書なのである。

 私自身、1975年エベレスト遠征で出会って以来、何度かの海外遠征や国内の山遊びを共にし、その強靱さをよく知っていた。だから、1年半前現れた、ただならぬ病状には驚いた。同時に、重篤の際にも外部に告げることなく登山や講演を続ける姿に、「いつ、どうやってカミングアウトするんだ?」と案じてもいた。

 そこへ本書である。「そうだったのか!」と妙に得心した。この人はたとえ自分の病であろうと悲嘆節にとどめない。その対処と教訓を活字メッセージとして発信するのである!

 まず第1章につづられるのは、これまでの「山でのピンチ」のかずかずだ。これはいわば第2章への伏線的な意味を持つのだが、それ自体読み応えのある登攀ノンフィクションになっている。若い日、谷川岳で目の当たりにした墜落事故。あるいは、女性だけでエベレストに挑んだ際の隊員間の微妙な軋轢。中ソ(当時)国境の難峰トムールで遭遇した雪崩の体験。いずれも本気で山と取り組んだ人間だからこそのエピソードで、ザイルの摩擦熱や低酸素にあえぐ息遣い、氷河の手触りまでが浮かんでくるリアルな描写である。

 ところがそれは「こんなに大変でした」というよくある登攀困難物語にとどまってはいない。著者はその経験を一歩進めて「だから日常生活でもこう考えるべきなんだ」という教訓に結び付けて説くのである。

 たとえば、岩壁で出くわした遭難者救助では、緊張と動揺を抑えて自分に言うのだ。「まず平常心を保て。そうすれば必ず手立てはある」と。あるいは雪崩に巻き込まれ、さらに次の雪崩が来そうだったとき。全装備を投げ捨てて即、その場を脱出するという瞬時の判断。また悪天候で方角を失いそうになった経験からは、「疲れた時は自分の判断をも疑え」と。

 そして第2章では、これらの「教訓」が自身のがんとの戦いで遺憾なく発揮されるさまがつづられていく。

田部井淳子に見る「晩年のあり方」

 地震と原発事故で疲弊した出身地の福島を応援しようと活動中、奇しくも大震災1年後の2012年3月のその日、体調不全に気がついた著者は医師に「がん。あと命三カ月か」と告げられる。

 そしてこの先が本書のキモ。驚きと同時に、「思考回路にスイッチオン」(本書)した著者は、「けっこう密度濃く生きてこれたよなー」(同)とこれまでを振り返り、「(宣告が)七十すぎという時期でまだよかった」(同)と考え、「騒ぐな。オタオタするな。現状を受け入れ、一番いいと思うことをやれ」(同)と、腹をくくる。どこか闘志満々といった気配さえ漂うくだりだ。

 その「一番いいと思うこと」の実行具合がこれまたただ事ではない。登って旅して講演して歌を披露して、と健康人間にも信じられないほどのスケジュールなのである。詳細は本書を読んでいただくとして――。

 新聞記者として知り合い、40年にわたって山遊びを共にしてきた私には、この書に感じる「現代史」がある。著者がメディアに「デビュー」したころ、日本は成長の途上にいた。「女だてらに」という言葉は消え、「元気な女性」が評価されるように。女たちはマラソンを走り、実業界に入り、宇宙飛行士も出た。著者はそういった流れのシンボルになった感がある。2児の母であったことが、やや保守的な大衆にさえアピールした。

 そして今、日本は超高齢社会に突入し、世には「晩年のあり方」を模索する人々が満ちている。病気との対応、家族との関係、自分の人生の位置づけ、悔いのない終わり方。静かに枯れていくのか、それとも常に燃焼を求めるのか――。道はさまざまだが、そこに厳しい登山実践から得た生活哲学を当てはめて、潔く対応していく著者の姿は、「燃焼型・がんサバイバー」のモデルを提示しているかのよう。つまり、彼女は時代の要請に律儀に応えようとしているのではないか、と。

「寛解って言われたんだ」。著者は大変な幸運をつかんだように笑って、今日も山歩きに講演に走り回っている。

文春文庫
それでもわたしは山に登る
田部井淳子

定価:693円(税込)発売日:2016年04月08日

電子書籍
それでもわたしは山に登る
田部井淳子

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再発! それでもわたしは山に登る
田部井淳子

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