本の話

読者と作家を結ぶリボンのようなウェブメディア

キーワードで探す 閉じる
登山家、がんという難ルートを歩む

登山家、がんという難ルートを歩む

文:北村 節子 (元・読売新聞記者 元・女子登攀クラブ)

『それでもわたしは山に登る』 (田部井淳子 著)


ジャンル : #随筆・コミックエッセイ

田部井淳子に見る「晩年のあり方」

 地震と原発事故で疲弊した出身地の福島を応援しようと活動中、奇しくも大震災1年後の2012年3月のその日、体調不全に気がついた著者は医師に「がん。あと命三カ月か」と告げられる。

 そしてこの先が本書のキモ。驚きと同時に、「思考回路にスイッチオン」(本書)した著者は、「けっこう密度濃く生きてこれたよなー」(同)とこれまでを振り返り、「(宣告が)七十すぎという時期でまだよかった」(同)と考え、「騒ぐな。オタオタするな。現状を受け入れ、一番いいと思うことをやれ」(同)と、腹をくくる。どこか闘志満々といった気配さえ漂うくだりだ。

 その「一番いいと思うこと」の実行具合がこれまたただ事ではない。登って旅して講演して歌を披露して、と健康人間にも信じられないほどのスケジュールなのである。詳細は本書を読んでいただくとして――。

 新聞記者として知り合い、40年にわたって山遊びを共にしてきた私には、この書に感じる「現代史」がある。著者がメディアに「デビュー」したころ、日本は成長の途上にいた。「女だてらに」という言葉は消え、「元気な女性」が評価されるように。女たちはマラソンを走り、実業界に入り、宇宙飛行士も出た。著者はそういった流れのシンボルになった感がある。2児の母であったことが、やや保守的な大衆にさえアピールした。

 そして今、日本は超高齢社会に突入し、世には「晩年のあり方」を模索する人々が満ちている。病気との対応、家族との関係、自分の人生の位置づけ、悔いのない終わり方。静かに枯れていくのか、それとも常に燃焼を求めるのか――。道はさまざまだが、そこに厳しい登山実践から得た生活哲学を当てはめて、潔く対応していく著者の姿は、「燃焼型・がんサバイバー」のモデルを提示しているかのよう。つまり、彼女は時代の要請に律儀に応えようとしているのではないか、と。

「寛解って言われたんだ」。著者は大変な幸運をつかんだように笑って、今日も山歩きに講演に走り回っている。

それでもわたしは山に登る
田部井淳子・著

定価:1400円+税 発売日:2013年10月10日

詳しい内容はこちら

ページの先頭へ戻る