インタビューほか

〈対談〉私たちの見た司馬遼太郎
和田宏×山形眞功

「本の話」編集部

『司馬遼太郎という人』 (和田宏 著)

長年、司馬遼太郎さんの担当編集者を務められたお二人。『司馬遼太郎という人』(和田宏著・文春新書)刊行を機に思い出を語り合っていただいた。

醤油で描いた点描画

山形 お酒の席で、司馬さんがなさる話は聞いていて本当に面白かったですね。

和田 そうそう、すごく語り口がいい。

山形 何を食べているか忘れてしまうことが多かった(笑)。

和田 時事関係や歴史の堅い話だけじゃない。たとえばこういう話もするよね。

 司馬さんの知り合いに、どんな商売やってもうまくいかない男がいた。その男がアイスキャンデー屋をやったことがある。当時のアイスキャンデー屋って、自転車のうしろに箱をのせて売って歩くんだけども、その商売も失敗した。なぜ失敗したかっていうと、夏の暑いときにアイスキャンデーを取り出すと、しずくがちょっとたれる。それをペロッとなめてから客に渡してたっていうんだよね(笑)。で、「そんなもん、だれが買うかいな」っていうのが司馬さんのオチ。そういう話が実にうまい。

山形 本当にお上手でしたね。ビルの上から人間を眺めるようにして書くという、司馬さんの「私の小説作法」について誤解も生まれて、攻撃する人もいるけれども、逆に司馬さんこそ街の人々のことをよく知っていたと思いますよ。働く人々を一人一人、リアルに見ていました。しかも、そういう人に対して優しさをお持ちだった。

和田 アイスキャンデー屋のことだって、ダメなヤツだと言ってるんじゃなくて、愛すべき人間だが、どこか要領が悪いんだよなあと嘆いているような、温かくくるんでるところがあったんだよね。そういう話、うまいんですよ、間の取り方が。飽きさせないんだね。

山形 寝ながら志ん生のカセットテープを聞いていたこともあるらしいですよ。

和田 落語が好きだったからね。間の取り方は落語で勉強したのかな(笑)。

山形 ご自身は、僕は耳が悪いから外国語がうまくないとおっしゃっていましたけど、イヤ、耳がよいのではと思わせるときがありました。

和田 しかし、おしゃべりな人だったよね。

山形 私は七三年(昭和四十八年)に初めて司馬さんの担当になったんですが、それまで『中央公論』にいて、ほとんど文芸関係の仕事をしたことがなかった。だから、作家にお会いするのは司馬さんが初めてだったわけ。何を話していいかわからないんで、前任の人に聞いたら、大丈夫、ご自分から話してくださるから、と言われたんですね。それで伺ったら、なるほどと(笑)。

和田 でも、やっぱりしゃべりながらちゃんと相手を観察してたよ(笑)。しかも、話を引き出すのもうまい。だから、あっという間に出身地から何から全部聞き出されてる。

山形 最初に君はどこの生まれだと聞くことから始まってね。そうすると、出生地を名前と結びつけて、「鈴木君は石巻の出か。そのあたりの“鈴木”はもともと熊野から出て……」となる。もうそれだけでみんな感激してしまう(笑)。

和田 絵もうまかったですよね。

山形 京都の飲み屋さんで、女将から何か描いてくださいと突然に頼まれたことがあったんですよ。そのとき、司馬さんは醤油を持ってきてもらって、それを水で薄め、インク替わりにして点描画のように描いたこともありました。

和田 『この国のかたち』の題字を書いてほしいと頼んだときは、マッチの棒にスミをつけて書いてみたりね。そういうことをする人でしたね。司馬さんの本の奥付に「馬」というマークが入ってるでしょう。それまで使っていたマークが古びてきたから、もう一回書いてくださいって料理屋で飯を食ってるときに頼んだらね、箸を包んでいる和紙を集めて、その裏に何枚も書いてくれた。いまでも文藝春秋が出す司馬さんの本にはそれが使われてるんですよ。別の紙にと言ったんだけど、「これでいい」と。そういうことに関しては無頓着だった。

山形 取材ノートにも地図を描いたり。

和田 それをもとに原稿を書いていらっしゃった。

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司馬遼太郎という人
和田宏・著

定価:本体720円+税 発売日:2004年10月20日

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