「芥川賞のおかげで有名になったんじゃない。俺のおかげで芥川賞が有名になったんだ」。昨秋、初対面した石原慎太郎は、私の前でそう言って笑った。
こんな面白い人物はいない。感嘆した。日本維新の会・分裂の会見で橋下徹も言ったではないか。「やはり石原さんは作家、しかも芥川賞作家ですよ」と(橋下が石原の小説を一篇でも読んでいるか、疑わしいが)。
「政治と文学、どっちを取るんですか?」と私が直球の質問を投げると、石原は急に真顔になった。
「そりゃ文学です」
即答だった。
「政治はね、何ていうのかな……気の抜けた吟醸酒って感じだね」
寂し気な表情で苦笑いを浮かべた。
齢81。“作家”・石原慎太郎の最新短篇集が出た。驚くべきことだ。“政治家”・石原慎太郎はここ数年、激動の渦中にいた。これらの作品群を彼は、いったい、いつ書いていたのだろう?
冒頭の「青木ケ原」は2000年発表の短篇を10年後の続篇で完結させたものだ。映画化もされている。青木ケ原樹海で自殺遺体探索する男が幽霊と出逢う怪異譚。が、後半は純愛劇に転ずる。妊娠した女が出産を果たせず死ぬ結末は、デビュー作「太陽の季節」と重なるのが興味深い。この作品は、岡崎京子の漫画『リバーズ・エッジ』の影響下に書かれたものと推察する。
「夢々々」は石原版“夢七夜”だ。夜、見た夢を描いているようで、ここには夥(おびただ)しい死が現れる。2011年春、未曾有の死者を出した東日本大震災の直前に発表されたのは、作家の“予知夢”によるものか? 直後に4度目の東京都知事選に出馬、当選。ちなみに本作品集に死の登場しない短篇は一作もない。本書の主題は明確に“死”である。
2012年春、発表の「世の中おかしいよ」は池袋署の警察官の視点を借りた街のスケッチだ。東京都の最高権力者たる彼が、都庁の高みから下界を眺めながら、この都市がいかに狂っているかを描く様はおかしい。同年秋、電撃的に都知事を辞任、国政復帰へ。
2012年末、橋下徹の日本維新の会に合流。その頃、発表された「僕らは仲が良かった」では、老作家が青春の夢に回帰しているように見える。
危うくなまなましい生
2013年春、石原は脳梗塞に倒れた。本人曰く、「棺桶に両足突っ込んだ」。遺書まで書いたという。その病床で、おそらく書かれたのが表題作であろう。『わが人生の時の時』以来の掌篇群だ。たとえば「計画」。半島の屋敷で男たちが何やら政治談議を交している。唐突に「死んだ三島由紀夫が、健全な民主主義のためには健全なテロルが必要だといっていましたが」とあり、ハッとした。彼らは首相暗殺を「計画」していたのだ! “日本維新”を標榜する公党の代表だった石原が、遺書をしたためた病床で、不自由な手によりこんな不穏な小説を書いていたとは……。「やや暴力的に」という表題に強い意志を感じる。老作家の枯淡の境地ではない。危うくなまなましい生が横溢している。瀕死の漂流の果てに生還する男の掌篇「隔絶」が素晴らしい。石原の筆はまったく衰えていない。いや、磨き抜かれ、瑞々しい再生を果たしている。同作を「文學界」誌上で読んだ私は、今期の芥川賞はこれで決まりだ、とつい思ってしまった。
最新作「うちのひい祖父さん」の主人公は92歳だ。特攻隊帰りで、何も信じず、体を鍛え、執念のままに生きる。ひ孫に何事かを託し、さっぱりと死んでゆく。死んだらどうなるか? と問われ、彼は答える。「そんなこと死んだらみんなわかることだ」。これが死に直面した石原の死生観なのか! と愕然とする。こんな老人小説は読んだことがない。22歳で「太陽の季節」を発表、青春小説の幻想をはぎ取って世を驚かせた時と同様に。60年後、その同じ雑誌(「文學界」)に今度は“死の季節”を書いたのだ。そこには一切のロマン主義も神秘化もない。「太陽も死も直視できない」とはラ・ロシュフーコーの箴言だが、いや、文学によって直視できる! と証明することこそ石原慎太郎の作家人生だったかもしれない。『太陽の季節』と『やや暴力的に』の2冊の短篇集を続けて読んでみたまえ。そこには特異な精神の軌跡/奇蹟がある。もう人生時計では真夜中に達するこの老作家は、小説においてより若く、輝かしい。さながら真夜中の太陽のように。齢81にして、この今も太陽の季節を生きている。
石原慎太郎は総理大臣にはなれないだろう。だが、それで何が悪い。総理の代りはいても、こんな小説を書く作家は世界中でただ1人しかいないのだから。“文藝”と冠するこの雑誌で、ぜひとも言っておきたい。そう、石原慎太郎は偉大な文学者である!
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