サッカー、野球……溢れんばかりの才能を持った若いスポーツ選手たちが、なかなか元気を取り戻せない日本を飛び出し、世界へと活躍の舞台を求めていきました。また、香港が中国に返還され、小泉首相が電撃的に訪朝し拉致被害者5人が帰国。世紀をまたいだこの時期を象徴する、総決算というべき大きな動きも次々に起こりました。
1995年~2004年のできごと
1995(平成7)年 地下鉄サリン事件 『麻原彰晃の誕生』(高山文彦) | 詳細 |
1996(平成8)年 アトランタ五輪サッカーで日本、ブラジルに勝利 『28年目のハーフタイム』(金子達仁) | 詳細 |
1997(平成9)年 香港、中国に返還 『転がる香港に苔は生えない』(星野博美) | 詳細 |
1998(平成10)年 日本長期信用銀行、経営破綻 『元役員が見た長銀破綻』(箭内昇) | 詳細 |
1999(平成11)年 江藤淳、死去 『妻と私・幼年時代』(江藤淳) | 詳細 |
2000(平成12)年 ルーシー・ブラックマン殺害事件 『刑事たちの挽歌 警視庁捜査一課「ルーシー事件」』(高尾昌司) | 詳細 |
2001(平成13)年 「千と千尋の神隠し」公開 『風の帰る場所 ナウシカから千尋までの軌跡』(宮崎駿) | 詳細 |
2002(平成14)年 小泉首相訪朝 『北朝鮮に消えた友と私の物語』(萩原遼) | 詳細 |
2003(平成15)年 松井秀喜、メジャーデビュー 『エキストラ・イニングス 僕の野球論』(松井秀喜) | 詳細 |
2004(平成16)年 室伏広治、アテネ五輪金メダル 『超える力』(室伏広治) | 詳細 |
1995(平成7)年 地下鉄サリン事件
『麻原彰晃の誕生』
(高山文彦 文春新書刊行 2006年)
新興宗教団体、オウム真理教が一躍世間の耳目を集めたのは、1990年の衆院選だった。「真理党」として教祖・麻原彰晃はじめ25人の候補者を擁立し、珍奇なパフォーマンスを展開。しかしこのとき、すでにオウムは信者を、またオウムをめぐるトラブルの解決にあたっていた坂本堤弁護士一家3人を殺害していた。
総選挙での惨敗を機に、オウムは反社会的傾向を強める。更なる信者の殺害。そして秘密裏に生成した猛毒サリンを長野県松本市で散布し、8人を殺害(松本サリン事件)。ついには3月20日、東京の営団地下鉄車内でサリンを撒き、13人を死に至らしめる。5月16日麻原逮捕。一連の事件により麻原ら13人に死刑判決が下っている。
「私は彼が異常だとは思わない。『異常』のふりをしているだけだろう。彼は『狂気』ではある。だが狂気とは、『正常』のひとつのあらわれ方である」(「後記」より)
麻原彰晃に宿った狂気の本質とは何か? 熊本時代の言動、上京後の逮捕、宗教団体への執着……大宅賞作家・高山氏が徹底取材で“さびしい怪物”の核心に迫る。
1996(平成8)年 アトランタ五輪サッカーで日本、ブラジルに勝利
『28年目のハーフタイム』
(金子達仁 単行本刊行 1997年)
「ブラジルではサッカーの下手な人のことを『日本人のようだ』という」
こんなフレーズが人口に膾炙していただけに、28年ぶりの五輪出場を果たした日本代表が、7月22日、グループリーグ初戦でブラジルを1対0で破ったのは驚天動地の出来事だった。人呼んで“マイアミの奇跡”。たしかにそれは奇跡に等しい快挙だったかもしれない。
しかし、この大金星の陰で、代表チーム内では日増しに不協和音が高まっていた。川口能活、松田直樹、前園真聖、中田英寿、城彰二……若い彼らの間に何があったのか。五輪直後、「Number」誌に「叫び」「断層」という二本の記事を発表し、ミズノ・スポーツライター賞を受賞した金子氏が、両記事を発展させ、渾身の力を傾注して書き上げたデビュー作。
「28年ぶりのオリンピック出場は、日本にとっては永遠に語り継がれる大事件でも、世界から見ればすぐに忘れ去られてしまうようなちっぽけな出来事かもしれないのです」(「あとがき」より)
日本サッカーの将来を語る上で、今こそ本書は欠かせない。
1997(平成9)年 香港、中国に返還
『転がる香港に苔は生えない』
(星野博美 単行本刊行 2000年)
1898年、英国が清朝から99年の期限で租借した香港。太平洋戦争中の日本占領を経て、戦後は、アジアの中継貿易基地として飛躍的な経済発展を遂げ、また香港映画など独自の文化を育んできた。
6月30日、99年のタイムリミットがやってきた。翌7月1日、香港は中国に主権委譲。第28代総督クリストファー・パッテンは香港を去った。
この歴史的な日を自分の目で、肌で感じるため、星野氏は香港に渡った。故郷に妻子を残した密航者、夢破れてカナダから戻ってきたエリート。それでも人びとは転がり続ける。街とともに変わり続け、運命に翻弄されつつも逞しく生きている。
「ここは最低だ。でも俺にはここが似合ってる」
揺るぎない視線で香港を見すえた2年間の記録。第32回大宅壮一ノンフィクション賞受賞作。
1998(平成10)年 日本長期信用銀行、経営破綻
『元役員が見た長銀破綻』
(箭内昇 単行本刊行 1999年)
バブル崩壊後の長引く景気低迷。巨額の不良債権を抱え、騙し騙し命脈を繋いでいた金融機関だったが、しわ寄せが一気に訪れた。1997年11月、三洋証券、北海道拓殖銀行、山一證券が相次いで倒れた。
戦後、企業に長期資金を融通し、高度経済成長を支えてきた日本長期信用銀行(長銀)もまた苦しんでいた。国内外のリゾート開発を大々的に展開していたイ・アイ・イ・インターナショナルに対する3,800億円をはじめ、多額の融資が回収不能に陥り、不良債権と化した。が、経営陣はそれを隠蔽し続けた。
しかし、ついに行き詰まった。10月、国は長銀の直接救済を決定。金融再生法が適用され、一時国有化。翌年、最後の頭取、大野木克信ら3名が商法違反容疑で逮捕された(のち無罪確定)。
破綻直前まで長銀の役員を務めていた箭内氏は、自問を繰り返した。我々はどこで間違ったのか? どうすべきであったのか――? 在職当時のメモなどから破綻までの軌跡をリアルに描いたこの苦渋に満ちた手記は、日本のあらゆる企業に通底する問題を指摘している。経営者・サラリーマン必読。
1999(平成11)年 江藤淳、死去
『妻と私・幼年時代』
(江藤淳 単行本刊行 1999年)
7月21日、激しい夕立の去った夜、「文藝春秋」編集部の電話が鳴り、信じられない事実が告げられた。江藤淳、死す。自らの手首を切っての自裁だった。享年66。
編集部は翌月号に江藤の追悼特集を組むべく、急遽動き出す。編集長が真っ先に電話をかけたのは、江藤の盟友、石原慎太郎氏だった。
「あの日の午後関東一円を襲った雷雨の激しさは並のものではなかった。(略)辛島昇が密葬の日、隣の席で、『あの雨さえなかったらなあ――』とつぶやくようにいっていたが、私もそんな気がしている」(文藝春秋1999年9月号「さらば、友よ、江藤よ!」石原慎太郎)
自裁の数時間前、江藤の最後の原稿を受け取ったのは「文學界」の編集長だった。彼は江藤のこんな言葉を聞いている。
「人とあまり会いたくないんですよ。形骸に会いにきても、しょうがないじゃないか」(文學界99年9月号「最後の原稿を受けとって」細井秀雄)
形骸――江藤は前年、最愛の妻・慶子さんを喪い、また自らも脳梗塞に倒れ、療養を続けていた。それらに疲弊し切ったおのれを、“ぬけがら”と自嘲したのか。
「生きることへの意志と、死への誘惑――言葉にしてしまうと違うような気もするが、この両極のあいだで揺れていることは確かだった」(同前)
だとしてもなぜ……と誰もが思った。石原氏はこう書く。
「彼を失った今になって思えば、彼の残した遺書が言葉少なにいかに毅然たるものであろうと、その自殺はトリスタンとイゾルデの順を違えた、典型的な妻恋いの末の後追い心中でしかない」(「さらば、友よ、江藤よ!」)
たしかに江藤と慶子さんは、二人を知る誰もが認める、精神的に深く結びついた夫婦だった。慶応大学在学中に知り合い、結婚した二人。年は一つ違いだが、年に一週間だけ同い歳になるときがあった。付ききりの看病を続けていたある日、江藤は編集者に「もう一度、同い歳になることができればなあ」とポツリと言い、涙を落とした。
「妻と私」は、最愛の人に先立たれた江藤が、苦悩と絶望の中で見据えた人間の生と死の深淵を描いた、文藝作品ともいえよう。絶筆「幼年時代」も収録。
2000(平成12)年 ルーシー・ブラックマン殺害事件
『刑事たちの挽歌 警視庁捜査一課「ルーシー事件」』
(高尾昌司 単行本刊行 2010年)
7月1日、英国人女性、ルーシー・ブラックマンさんが都内で消息を絶った。麻布署に出された家出人捜索願。事件の匂いを嗅ぎとった所轄は警視庁に相談。捜査一課の特殊犯捜査係の精鋭が捜査に乗り出す。
10月、別件の準強制わいせつ容疑で一人の男が逮捕された。捜査官たちはこの男がブラックマン失踪のカギを握っていると睨んだ。しかし男は口を割らない。引き続き懸命にブラックマンさんの行方を追い、ついに翌年2月、神奈川県三浦市にある砂浜沿いの洞窟で、彼女の遺体を発見したのである。2010年、ブラックマン事件を含む9つの事件について、犯人に対する無期懲役刑が確定した。
本書は、オウム真理教事件、和歌山カレー事件などを追い続け、豊富な警察人脈を持つ高尾氏が、ブラックマン事件の捜査の全貌を描いたドキュメントである。登場する捜査官たちは幹部に至るまですべて実名。本物のみが持つド迫力は数多の警察小説を凌駕する!
2001(平成13)年 「千と千尋の神隠し」公開
『風の帰る場所 ナウシカから千尋までの軌跡』
(宮崎駿 文春文庫刊行 2013年)
宮崎駿監督の長編アニメーション映画第8作「千と千尋の神隠し」。スタジオジブリ作品の恒例に則り、夏休み直前の7月20日に公開されるや、かつてない反響を巻き起こした。
興行収入304億円(歴代1位)、日本アカデミー賞最優秀作品賞受賞、ベルリン国際映画祭金熊賞受賞、そして米アカデミー賞アカデミー長編アニメ映画賞受賞。「風の谷のナウシカ」(1984年)、「天空の城ラピュタ」(86年)、「となりのトトロ」(88年)、「もののけ姫」(97年)などに続く、宮崎監督の新たなる代表作となった。
本書は、90年~2001年の間に、渋谷陽一氏が宮崎監督に対しておこなった5本のインタビューを収録したものである。「ナウシカ」から「千と千尋」まで、宮崎監督が自らの作品の背景や狙いはもちろん、文明論から歴史観に至るまで、徹底的に語り尽くしている。
「愛とか正義とか友情とか……本気で喋ってくれないかなあって、みんな待ってるんだと思いますね」(本書より)
2002(平成14)年 小泉首相訪朝
『北朝鮮に消えた友と私の物語』
(萩原遼 単行本刊行 1998年)
9月17日、小泉純一郎首相は電撃的に北朝鮮を訪問、金正日総書記と会談した。金総書記は過去の日本人拉致を認め、謝罪。それを受け1カ月後、地村保志・富貴恵夫妻、蓮池薫・祐木子夫妻、曽我ひとみさんの5人が帰国を果たした。彼らが新潟、福井から忽然と姿を消して、24年の歳月が流れていた。
しかし、問題の解決にはほど遠い。政府が拉致被害者と認定したのは17人。横田めぐみさんら残る12人は未だ帰国を果たしていない。また特定失踪者問題調査会は、北朝鮮による拉致が疑われる失踪者として約200人を認定している。
国家として拉致行為をおこなう国、北朝鮮。我々はこの隣人を、どう理解すればいいのか? その最良のテキストが本書である。
1972年、「赤旗」平壌特派員となった著者は、大阪の定時制高校時代の親友を訪ねた。友は“地上の楽園”で幸せに暮らしているはずだった――。
北朝鮮はなぜ監獄国家となったのか。理想の王国建設を目指し帰国した在日朝鮮人を見舞った悲劇。日本はそれにどう関わったのか。日本と朝鮮、戦後の群像を描き「帰国運動」の真実を明らかにする。第30回大宅壮一ノンフィクション賞受賞作。
2003(平成15)年 松井秀喜、メジャーデビュー
『エキストラ・イニングス 僕の野球論』
(松井秀喜 単行本刊行 2015年)
90年代を代表する巨人の4番といえば、もちろんゴジラ松井。長嶋茂雄監督の1位指名を受け1993年デビュー。実働10年で332本塁打、1390安打を積み重ね、首位打者1度、本塁打王3度、打点王3度という成績を残した。
2002年シーズンでMVPの勲章を手にした松井はFA権を行使。12月、ニューヨーク・ヤンキースへの移籍が決定した。ゴジラ劇場第二章となったそれからの10年、エンゼルス、アスレチックス、レイズと渡り歩き、1253安打と175本塁打を上積み。堂々たるメジャーリーガーとして、米国にも“Godzilla”の咆哮を轟かせた。13年、長嶋氏とともに国民栄誉賞受賞。
本書は、松井氏の引退後初めての著書。日米にまたがる自身の経験を振り返り、監督論からイチロー、デレク・ジーターらについて、氏ならではの意見が展開される。目からウロコの野球論であり、学ぶことの多い人生論でもある。長嶋氏より「すべての野球選手、ファンに読んでほしい」と絶賛の言葉が寄せられた、これぞ野球ファン必読の書!
2004(平成16)年 室伏広治、アテネ五輪金メダル
『超える力』
(室伏広治 単行本刊行 2012年)
日本を代表するアスリート、室伏広治。40歳になった今も現役であり、2014年まで日本選手権ハンマー投を20連覇した。
世界の舞台でも12年ロンドン五輪で銅メダルを獲得し、健在ぶりを示したが、室伏の五輪といえば、やはりアテネ五輪の金。アドリアン・アヌシュのドーピング違反による繰り上がりという顛末はあったものの、アジア史上初の投擲種目金メダルという快挙だった。
本書は、ロンドン五輪直前の室伏選手が、ハンマー投人生を語り尽くしたもの。第1章、2章では、これまであまり深く語ってこなかった五輪や世界選手権での一投一投について。第3章では常につきまとうドーピング問題。現役アスリートがここまで詳細に語ったのは初めてだろう。第4章では、偉大なる父・重信氏とともに歩んできたアスリートとしての道。第5章はスポーツ科学者としてのハンマー投の研究についてと、後輩アスリートへの助言。
すべての言葉が、王者ならではの説得力をもって語られる。
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『皇后は闘うことにした』林真理子・著
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