そういうヨシノが、折角の連休に折角予約した旅行から、まずは断腸の思いで友人友美の結婚披露宴の二次会幹事へとスライドし、更にその当日、二次会は愚か、披露宴の御馳走も食べないうちに会社の部長の父親(会ったこともない老人だ)の通夜へ強制ワープさせられてしまう。しかもすきっ腹の身体は通夜の会場にありながら、心(とケータイ)では友美・内田君の結婚式の首尾次第を心配し、さゆりちゃん・コタニ君のカップルの行く末を案じている。
ヨシノは、どこか根本でマジメなのだ。読者の頭には〈ヒトのミチ〉という古風な言葉が浮かんでくる。ヨシノは格差社会の荒波にもまれながらも、〈ヒトのミチ〉だけは守りたい。投げやりになるのは嫌いなのだ。おそらく、お祖父さんお祖母さんと一緒に食べたケーキの記憶がヨシノを護ってくれている。
いや、ヨシノだけではなく、彼女のまわりの連中は、友美もコタニ君もホンダさんも、赤ん坊を預けたお姑さんの具合が悪くて披露宴を抜け出す春子も、どこか要領のよさそうな総務の新人セガワさんさえもが、〈ヒトのミチ〉を(ちょこっとならともかく、大きくは)踏み外したくないと思って暮らしている。そう見える。
そしてたぶん、世の大半の人たちもそうなのだ。我を通す生き方もあるとは思っても、そちらへずれ込むことのできない自分に安心したりする(ヨシノのように)。たまに〈ヒトのミチ〉を少しだけ踏み外したりすると、あとで気がトガメル。そういう人たちはきっと、この作者の作品の中で知人や自分の似姿に出会えるに違いない。
もちろん世間には、信じられないくらい我を通して生きたり、死んだりする人もいる。この日、はた迷惑にも、大勢の無縁の人々を通夜へ〈召喚〉する老人のように。
だがその老人もついには死んでいる、すべての人と同じように。そこに思い至ると、この一日、世事人事に翻弄されたヨシノも、今度は死に出会うことになる。数年前に死んだ祖父母の死、そして自分の死に。
何だか分からないが「涙が止まらない。腹も鳴っている」と、作者はヨシノと死の出会いを書きとめる。その絶妙な距離感!
でもヨシノは仕合わせ者だ。思い出せば何時でも会える祖父母がいるし、ホンダさんも酔いが覚めればけっこう話の通じる先輩で、ヨシノが死ぬときまだ丈夫だったら見舞いにくると、しっかり約束してくれた。披露宴の御馳走は食べそびれたけど、今度こそ熱々のラーメンをホンダさんと一緒に食べられるといいねえ、ヨシノさん。
他に、人々の暮らしと心の寸景を回り燈籠のように描く「冷たい十字路」も収録。
-
『赤毛のアン論』松本侑子・著
ただいまこちらの本をプレゼントしております。奮ってご応募ください。
応募期間 2024/11/20~2024/11/28 賞品 『赤毛のアン論』松本侑子・著 5名様 ※プレゼントの応募には、本の話メールマガジンの登録が必要です。