一冊の本との出逢いがきっかけで、山形に住まいを移してしまいました。
そんな風に言ってみれば、運命的でちょっと格好よく聞こえる(かもしれない)けれど、実際、周囲の皆々様へかけた心労はどれほどか。四年が経った今でも頭の下がる思いでいます。
庄内の在来作物とその再生を追ったノンフィクションに大変な感銘を受けた私は、本に出てくる作物や人々に逢いたい一心で、当時予定していたカナダへの留学をキャンセル。強引に山形県は庄内地方・鶴岡市へやってきてしまったのだから、我ながら驚きです。
単行本として刊行されたとき、『庄内パラディーゾ』と題されていたこの本に出逢わなければ、縁もゆかりもない山形で暮らすことは、きっとありませんでした。丸の内の保険会社でOLをしていた私が、地域を駆け回って人々から話を伺うことも、汗と土にまみれて野菜を育てることも、きっとなかったでしょう。
もちろん、こうして解説を書かせていただくなんていうことも。
そう考えると、とてもとても感慨深く感じます。ほんの一瞬の出来事が、人生をこんなにもがらりと変えてしまうものなのかと。
そんな運命的な出逢いをくれたのは、近所の図書館でした。東京で暮らしていた頃、家から五分とかからない場所に区立の図書館があり、休日ともなれば足を運び、適当な本を選んで時間を過ごすことを楽しみにしていました。
社会人になり迎えた四年目の冬。からからに乾いた空気の中、コートの襟を立てて足早に歩いた道中で、見上げた空いっぱいにケヤキが枝を広げていたことを、よく覚えています。
いつものように書架に並ぶ本の背表紙を追っていると、ふと「庄内」という文字が目につきます。庄内といえば、庄内平野。庄内平野はたしか、山形だったはず。
当時、庄内に関する私の知識はその程度。にも関わらず目が留まったのは、意中の人の故郷が山形だったからでしょう。表紙には、冠雪した富士山に似た美しい山と、どこまでも広がる黄金色の田んぼが写っていました(本書、文庫版では巻頭の口絵に掲載されています)。
その日は中を開くことなく元の位置に戻したのですが、別の日に図書館を訪ねると、また庄内の二文字が目に入ります。これはきっと、何かのご縁。今度はカウンターで貸し出し手続きを済ませ、大事に家まで連れて帰りました。
その後に起こったことは、先に述べたとおりです。