●「夷酋列像(いしゅうれつぞう)」
――自らの絵で松前藩を救った家老、蠣崎(かきざき)波響の生涯を描いた、宇江佐さんの松前物を代表する作品ですね。
「十年ほど前、地元の新聞で蠣崎波響の描いた『夷酋列像』というアイヌの絵が紹介され、目の覚めるほど鮮やかな色彩に感動したのです。地元にこんな絵師がいたのかと驚き、波響のことを調べていくと、絵師である前に松前藩の家老で、しかも腹違いの兄が藩主という家柄だという。調べれば調べるほど面白く、これは何としても小説にしなければと思うようになりました。
ただ、アイヌ民族を描くと、差別表現だと非難されるケースが多いという。地元の新聞社の人からは『やめた方がいいですよ』とずいぶん言われました。それで、思い余って関係の機関に問い合わせたところ、作家にアイヌ民族を差別する目さえなければ、アイヌ民族が松前藩に酷使されたのは事実なのだから書いても問題ないと言われ、ようやく安心して筆を執ることができたのです」
――「夷酋列像」の前に、「蝦夷松前藩異聞」(文春文庫刊『余寒の雪』に収録)をお書きになっています。
「いきなり『夷酋列像』を書く勇気がなかったので、前哨戦としてまず波響の死後の話から書き始めたんです。『夷酋列像』に至るまで、最初の構想から何年もかかったので、書き終えたときはホッとしました」
●「シクシピリカ」
――蝦夷地探検で知られる最上徳内の生涯を描いた、松前物の異色作ですね。
「『夷酋列像』が松前藩を内側から描いた物語だとすれば、これは最上徳内の眼を借りて外側から松前藩を俯瞰(ふかん)した作品です。
最初は松前藩とは関係なく最上徳内を書こうと思い、山形県に取材に行ったんです。そしたら偶然、徳内が住んでいた現在の村山市が、松前藩がお国替えになったときの領地だったんですね。それで、最上徳内が松前藩というものをどう見ていたのかが気になりはじめた。別々の関心が思わぬところでつながったわけです」
――今後の松前物の執筆予定はどうですか。
「秋には朝日新聞社から松前藩士を主人公にした小説を出す予定。『ジェイ・ノベル』で書いている蝦夷地全般にまつわる話も来年にはまとめる予定で、これで一段落です。
私もようやく市井物と歴史物という二つの線が見えてきたようなので、今後も硬軟取り混ぜて書いていきたいと思っています。歴史物で苦労すると、江戸の市井物がとても書きやすい(笑)。来年には『伊三次』シリーズの新作も出ますので、しばらく松前物はお休みかな(笑)」