- 2015.12.17
- インタビュー・対談
手紙こそ親から受け取る素晴らしい財産――千住真理子さんインタビュー(前編)
「本の話」編集部
『千住家、母娘の往復書簡 母のがん、心臓病を乗り越えて』 (千住真理子・千住文子 著)
ジャンル :
#ノンフィクション
母の意外な面に驚いて
――実際に何十通もやりとりされて、お母さまからのお便りの内容にびっくりされたことはありましたか?
千住 そうですね、まず、母がああいう性格の人だとは思わなかったですね。それまでは頼もしくて完璧な、本当に気の強い人だと思っていました。人のいやなこともズバズバ言うし、本当に男っぽい性格の、喧嘩でもなんでも向こうから仕掛けてくるような人だと思っていました。
――真理子さんをあまり褒めたことがなかった?
千住 全然褒めないです。ダメ出しの方が多い。演奏会が終わった後なんかは結局、いかに私がだめかということを力説していました(笑)。もうねぇ、表裏がないんですよ。嘘がつけない。だから時には、娘にも言っちゃ悪いと思って母もだまっていることがあるんですが、表情に出ちゃっているからもうバレバレ。「だまって我慢しないで、いいから言ってよ」と私が言っても、「あんたが怒るから言わない」ってそんなやりとりが1~2時間あって、母が「じゃあ言うわよ」と言い始めると、もう止めを刺すようなことしか言わない(笑)。今でも思い出すと、心にグサグサ刺さってますから。
手紙で分かったことの一つに、意外にも母にこんなに弱いところがあったのかということでした。私の家の庭の木が冬になると葉っぱが落ちて裸の木になるんですが、それを何か自分の死んだ後の骨のように表現している。そんなふうに死というものを怖がっていたのかというのは、それまでの母からは全然想像だにできなかったことです。
母と娘、同性同士の親子は難しいんですよ。晩年はもちろん違いますけれども、20代30代のころは母に対してある種のライバル心を持ったり、あるいは何で私のことを分かってくれないの? という苛立ちだったり、いろんな思いが母に対してありました。母親の方もおそらく、そんな娘が思うようにならず歯がゆかったと思います。
でも最後は、病室で痛みに耐えながら私を待っている母はまるで子どものようでした。文通の終わりのころは特にそうで、母の弱い部分を知ったこともあり、母を幼子のような気持ちでどうしても見ちゃう。本当に助けてあげたい、という気持ちが強かった。明兄も解説で「母性に満ちた真理子」なんて書いてくれてますけど。
――演奏の合間にお母さまの病室に駆けつけていらしてたから、大変だったでしょう?
千住 大変でした。ドリンク剤を結構、バカスカ飲んで(笑)。私も毎日のように頭痛があったし、眠れないから眠り薬も飲んでいた。でも、それこそ母が私たちを育ててくれていた若い頃、こうやって強がって育ててくれていたんじゃないか、とふと思うときもありました。そう思うと、私がしっかりしなきゃだめだとか、私が弱音を吐いちゃいけない、というのが一番にあったので、母の前に出るときはジーパンにキャップを被って、いつも元気な私を見せていました。そうすると、母はそういう私に頼ってくるので、それは嬉しかったです。
写真提供:千住真理子
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